※宮沢賢治『なめとこ山の熊』の内容紹介
こんにちは、『文人』です。
近年、「多様性」という言葉が注目されています。
いろいろな立場や価値観を持った者が、それぞれ共存するのが多様性の世界。
でも、簡単なことではありませんよね。
自分を害する可能性のある者を受け入れられるかどうか。
また、憎むべき相手を許せるかどうか。
共存には大きな壁があります。
宮沢賢治の名作童話『なめとこ山の熊』は、殺し殺される関係である人間と熊の物語。
痛みをともなう他者との共存を描いた作品です。
そんな『なめとこ山の熊』の内容と魅力をわかりやすく紹介していきます。
『なめとこ山の熊』とは?
※「なめとこ山の熊」は『注文の多い料理店』(宮沢賢治/著 新潮文庫)に収録されている一編です。
あらすじ
なめとこ山は人里離れた大きな山です。そこには昔、熊がたくさん住んでいました。その熊を捕っていたのが、猟師の淵沢小十郎です。熊捕りの名人・淵沢小十郎は、辺りの山や谷を歩きまわり、熊を狩るのが仕事です。しかし、なめとこ山の熊は、小十郎のことが好きでしたし、小十郎も、肝や毛皮を売って生活するために仕方なく熊を殺していました。
ある日、小十郎は山のなかで、熊の母子の会話を聴きました。また別の日には、殺そうとした熊が手を挙げて、命乞いをしてきました。やり残した仕事があるから2年だけ待ってくれ、そうしたらお前の家の前で死んでいてやるから、と熊は言うのでした。すると2年経った頃、言っていた通り、その熊が小十郎の家の前で死んでいたのです。
1月のある日のこと。山に入った小十郎の前に、1匹の大きな熊が現れ、襲いかかってきました。小十郎は鉄砲を構えましたが、仕留められず、熊からの一撃を食らってしまいました。
小十郎の死骸は、山の頂上の一番高いところに安置されていました。夜の月明かりのなかで、小十郎の死骸は笑っているように見えました。その小十郎の周りには、熊たちの大きな黒い影が、地面に額をつけて祈るように伏していて、いつまでも動きませんでした。
- 作者は宮沢賢治(明治29年~昭和8年)
岩手県の花巻の生まれ。詩人であり童話作家。
「イーハトーブ」を舞台に数多くの作品を残しました。「イーハトーブ」とは、郷土の岩手をモチーフに賢治が心のなかに描いた理想郷。 -
『なめとこ山の熊』には、町で豊かに暮らしている荒物屋(雑貨屋)の主人が登場します。
この主人は、小十郎が熊の毛皮を売りに来るたび、安く買いたたいています。
生産者(小十郎)を食い物にして私腹を肥やしている人間です。
主人の豊かな生活の裏側に、小十郎と熊の悲劇があるのです。
このことが、物語をより悲惨なものにしています。 - 『なめとこ山の熊』は、童話でありながら、描かれている内容は恐ろしく現実的です。
小十郎は、熊を殺して、その肝や毛皮を売ることで生活しています。
ところが、肝や毛皮は安く買いたたかれてしまうので、より多くの熊を殺さなければ生計が成り立ちません。
結果、小十郎は熊捕りという悲しい仕事から抜け出せない状態に陥っているのです。
物語の背景には「格差」、「搾取」、「乱獲」といった問題があります。
『なめとこ山の熊』の魅力
①小十郎と熊の関係
○主人公・淵沢小十郎について
淵沢小十郎は猟師で、熊を捕る名人です。
妻と息子を病気で亡くし、今は、90歳になる年寄りの母と、幼い孫たちと一緒に暮らしています。
生活が貧しく、食いつないでいくために仕方なく熊を殺しています。
熊の毛皮や肝を売り、辛うじて生活しているのです。
○なめとこ山に住む熊たちについて
なめとこ山に住む熊たちは、小十郎のことが好きです。
山や谷を歩きまわる小十郎を、いつも陰から眺めています。
しかし、小十郎が鉄砲を向けてくるのだけは、あまり好きではないのです。
だから多くの熊は、迷惑そうに断ります。
ただ、気性の激しい者は、荒々しく小十郎のほうに向かっていくので、撃ち殺されてしまいます。
○殺し殺される関係
熊を鉄砲で撃った後、小十郎はそばに寄り、次のように語りかけます。
「熊。おれはてまえを憎くて殺したのでねえんだぞ。おれも商売ならてめえも射たなけぁならねえ。ほかの罪のねえ仕事していんだが畑はなし木はお上のものにきまったし里へ出ても誰も相手にしねえ。仕方なしに猟師なんぞしるんだ。てめえも熊に生れたが因果ならおれもこんな商売が因果だ。やい。この次には熊なんぞに生れなよ。」
『注文の多い料理店』(宮沢賢治/著 新潮文庫)収録「なめとこ山の熊」より引用
小十郎は熊を殺すことに罪悪感を抱き、熊に対して同情もしています。
小十郎は熊を殺さなければ生活できません。
熊は、小十郎のことが好きなのですが、出会ったら命を奪われてしまいます。
このように、小十郎と熊は、宿命的に殺し殺される関係にあるのです。
②小十郎の苦しみ
○生活の苦しみ
小十郎が熊捕りをやめられない背景には、生活の苦しみがあります。
それをもう少し掘り下げてみましょう。
小十郎は、妻と息子を病気で亡くしています。
残った家族は、90歳になる年寄りの母と、幼い孫たち。
この家族を養うために、少しでも稼がなければなりません。
しかし小十郎は、町の人間から相手にされません。
町へ下りても仕事がないので、仕方なく猟師をやっています。
熊の毛皮も肝も、本来なら、売ればそれなりの稼ぎになるはずです。
けれども小十郎の収入は少なく、わずかな白米と味噌しか手に入りません。
なぜなら、町の荒物屋(雑貨屋)の主人に頭が上がらず、安く買いたたかれ、搾取されているからです。
結果、絶えず熊を殺し、その毛皮と肝を、白米と味噌に替えなければ生きていけない境遇に陥ってしまっているのです。
○熊の言葉がわかる苦しみ
小十郎は熊に同情するうち、いつしか熊の言葉がわかるようになっていきます。
ある時、おかしな事件が起こります。
小十郎が谷を歩いていると、大きな熊を見つけました。
銃を構えて近づいていくと、相手の熊は、小十郎に話しかけてきたのです。
(中略)小十郎は油断なく銃を構えて打つばかりにして近寄って行ったら熊は両手をあげて叫んだ。
「おまえは何がほしくておれを殺すんだ。」
「ああ、おれはお前の毛皮と、肝のほかにはなんにもいらない。それも町へ持って行ってひどく高く売れると云うのではないしほんとうに気の毒だけれどもやっぱり仕方ない。けれどもお前に今ごろそんなことを云われるともうおれなどは何か栗かしだのみでも食っていてそれで死ぬならおれも死んでもいいような気がするよ。」
「もう二年ばかり待って呉れ、おれも死ぬのはもうかまわないようなもんだけれども少しし残した仕事もあるしただ二年だけ待ってくれ。二年目にはおれもおまえの家の前でちゃんと死んでいてやるから。毛皮も胃袋もやってしまうから。」
『注文の多い料理店』(宮沢賢治/著 新潮文庫)収録「なめとこ山の熊」より引用
その熊は、小十郎に命乞いをしました。
やり残した仕事があるから2年待ってほしい、そうしたらお前の家の前で死んでいてやるから、と熊は言います。
そして2年経った頃、約束した通り、その熊は小十郎の家の前で死んでいたのです。
○存在の苦しみ
この切ない事件は、小十郎の心を揺さぶります。
熊にも仕事があり、生活があり、他者を思いやる心がある。
小十郎は熊のことを思うと、
「おれも死んでもいいような気がする」
という心境になります。
熊の生命の尊さを知り、その熊を殺してまで生き続けている自分という存在が、辛いものに感じられたのでしょう。
③人間と熊の切ない共存関係
○小十郎の死と、熊の祈り
小十郎と熊、両者の行き着くところは悲劇です。
ある年の1月、小十郎は大きな熊を仕留めきれず、逆に襲われ、死んでしまいます。
殺し殺される関係は、必然的に、小十郎の死によって終わるのです。
なめとこ山の熊たちは、小十郎の死骸の周りに集まり、地面に額をつけて祈ります。
小十郎の死骸は笑っているようです。
それぞれの立場を乗り越えた小十郎と熊の調和が、ここでは象徴的に描かれています。
○痛みをともなう共存
『なめとこ山の熊』の魅力は、相容れない立場の者同士が、不思議な共存関係にあること。
小十郎は、熊に同情しながらも、熊を殺し続けなければ生きていけない宿命を背負っています。
一方、なめとこ山の熊は、自分たちをおびやかす敵であるはずの小十郎を憎むどころか、好きなのです。
殺し殺される関係でありながら、お互いを憎まず、心を寄せ合う。
小十郎と熊、両者の痛みをともなう共存関係が、切なく印象に残る作品です。
まとめ
宮沢賢治の名作童話『なめとこ山の熊』は、殺し殺される関係にある人間と熊を通して、共存にともなう痛みの現実を生々しく描いています。
他者との関係は、誰もが悩むところですよね。
小十郎や熊のように、相手の立場になって思いやれるかどうか。
やはり簡単なことではありません。
異なる者同士が共存できる世界とは、私たちがさまざまな痛みや悲劇を乗り越えた先に見えてくる世界なのだと思います。
気になった人はぜひ本を手に取ってみてくださいね。
※「なめとこ山の熊」は『注文の多い料理店』(宮沢賢治/著 新潮文庫)に収録されている一編です。
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