生きることの意味を問い直すカミュの代表作『異邦人』の魅力
※『異邦人』(カミュ/著 窪田啓作/訳 新潮文庫)の内容紹介
こんにちは、『文人』です。
小説『異邦人』は、ノーベル賞作家カミュの代表作。
カミュのデビュー作でもあり、世界中で翻訳されています。
主人公の青年「ムルソー」は、殺人を犯し、死刑判決を受ける。
殺人の理由について問われ、
「太陽のせい」
と答えることで有名な本作。
今回はそんな『異邦人』の内容と魅力をわかりやすく紹介します。
『異邦人』とは?
母の死の翌日海水浴に行き、女と関係を結び、映画をみて笑いころげ、友人の女出入りに関係して人を殺害し、動機について「太陽のせい」と答える。判決は死刑であったが、自分は幸福であると確信し、処刑の日に大勢の見物人が憎悪の叫びをあげて迎えてくれることだけを望む。通常の論理的な一貫性が失われている男ムルソーを主人公に、理性や人間性の不合理を追求したカミュの代表作。
- 作者はカミュ(1913~1960)
アルジェリア生まれ。フランスの作家。
代表作は、『異邦人』、『ペスト』など。
1957年、ノーベル文学賞受賞。 - 『異邦人』は1942年刊行、カミュのデビュー作。
フランスで発表されるや絶賛され、カミュはたちまち人気作家となりました。
その後も世界中で翻訳され、古典の名作として読み継がれています。
魅力①
自由気ままな青年「ムルソー」
『異邦人』の注目ポイントは、主人公の青年「ムルソー」の生き方です。
「ムルソー」の特徴を一言でいうなら、「常識はずれ」。社会の常識にとらわれず、自然に振る舞います。
しかし「ムルソー」にとっての自然な行動は、社会常識からみたら、あまりに不自然。
「ムルソー」の生き方と、社会常識との間には大きなギャップがあります。
○母親の死
「ムルソー」はある会社で事務仕事をしながら、現在アパートで一人暮らしを送る青年。
ある日、養老院に預けている母親が亡くなりました。
報せを受けた「ムルソー」は、養老院へ向かい、母親の通夜と埋葬を行います。
ところが、「ムルソー」の態度は奇妙に落ち着いていました。
通夜のときには、納棺された母親の顔を見ることを拒否。
埋葬のときも、黙祷すらささげません。
結局、「ムルソー」は母親の葬儀で一度も涙を流しませんでした。
さらに母親の葬儀の翌日から、海水浴を楽しみ、女友達と喜劇映画を観て、夜には情事。
母親が亡くなったことを女友達に告げ、
「昨日亡くなった」
と、あっさり話す「ムルソー」。
さすがに女友達は引いた様子。
○アラビア人の殺害
「ムルソー」は仲間たちと海水浴へ出かけます。
そこで、アラビア人の一団と遭遇します。
そのアラビア人の中のひとりは、「ムルソー」の仲間と因縁がありました。
海岸で喧嘩になり、相手のアラビア人が刃物を抜き、仲間が切りつけられ負傷します。
その後、海岸をひとりで散歩する「ムルソー」。
気がつくと、そこは先ほど喧嘩をした現場。
まだ例のアラビア人がひとり残っていて、日陰で休んでいました。
相手が「ムルソー」に気づき、一触即発の空気が流れます。
「ムルソー」が一歩前に踏み出した途端、相手のアラビア人が刃物を向けてきます。
それを見て、持ち歩いていた拳銃を構える「ムルソー」。
緊張感のなか、「ムルソー」の体がこわばり、拳銃の引き金を引いてしまいました。
一発の銃弾により、倒れるアラビア人。
そして「ムルソー」は、なぜか、倒れた相手に向かって、さらに四発の銃弾を撃ち込むのです。
魅力②
裁かれる「ムルソー」
アラビア人殺害の罪で逮捕。
これにより、「ムルソー」の人生は大きく狂います。
○「ムルソー」の裁判
「ムルソー」は尋問され、裁判に臨むことに。
- 母親を本当に愛していたのか?
- なぜ母親の通夜のとき、(遠慮するのが常識なのに)煙草を吸い、ミルクコーヒーを飲んだのか?
- なぜ母親の葬儀で一度も涙を流さず、終始落ち着いていたのか?
- なぜアラビア人を撃った後、間を空けて、四発の弾丸を撃ち込んだのか?
さまざまな疑惑を向けられます。
しかし、「ムルソー」にとっては自然なことでした。
どの行為にも特に意味はなく、どう説明したらいいのか、困惑します。
そして裁判官から、あらためて殺害の理由を問われると、次のように答えます。
私は、早口にすこし言葉をもつれさせながら、そして、自分の滑稽さを承知しつつ、それは太陽のせいだ、といった。
「それは太陽のせいだ」
冗談ではなく、誠実に、こう答えたのです。
アラビア人殺害には明確な理由がなく、しいて言うなら、太陽の暑さでどうかしていただけ。
「ムルソー」の悲劇は、社会に対して適切な説明ができなかったこと。
合理性を追究する法廷において、「ムルソー」の言葉はまったく理解されませんでした。
○死刑判決
結果、「ムルソー」に言い渡された判決は、死刑。
裁判の内容は、検事による「ムルソー」の徹底的な人格否定でした。
この男には人間性がまったく欠けており、罪の意識も、心情すらも感じられないことから、社会に生きる価値のない、抹殺すべき存在である。
検事はおよそこのような主張を通したのです。
○幸福感に満たされる「ムルソー」
神も、人間の罪も、人生の意味も、まったく信じていない「ムルソー」。
そんな「ムルソー」は不幸な人間だったのか?
そうではありません。
「ムルソー」は、生きるための理由をまったく必要としません。
母親を愛し、自分の生活をまるごと愛し、人生のすべてを受け入れていたのです。
そして不条理な死刑さえも、受け入れました。
死刑を待つ夜、「ムルソー」は独り、幸福感に満たされていました。
魅力③
『異邦人』のメッセージ
「なぜ『私』は生まれてきたのか?」
「『私』の人生には何の意味があるのか?」
「『私』は必要とされているのか?」
私たちは生きることの意味を探し、その先に幸福があると考えがちです。
しかし、意味がなくても、現に生きている。
そして足元の生活のなかに、すでに幸福がある。
ひとりの人間の意味を否定する権利は、本来、誰にもありません。
存在を否定され、死刑判決を受けた「ムルソー」は、次のように言います。
他のひとたちもまた、いつか処刑されるだろう。君もまた処刑されるだろう。人殺しとして告発され、その男が、母の埋葬に際して涙を流さなかったために処刑されたとしても、それは何の意味があろう?
処刑とは、ひとりの人間の尊厳を否定し、「悪」を押しつけ、「正義」のもとに抹殺すること。
では、その罪人を抹殺したことで、何が変わるのか?
ひとりの人間を処刑することの無意味。
社会的な「悪」というレッテルを貼られ、ひとりの人間が抹殺されることの不条理。
『異邦人』はそのような不条理な状況を描き、
「生きていることに、果たして意味は必要なのか?」
と、私たちに問い直す作品であるように感じます。
おわりに
カミュの『異邦人』は、主人公「ムルソー」の圧倒的存在感が魅力です。
人格を否定され、そして存在自体を否定されても、「ムルソー」はなお強い自信を持って、生の幸福感に浸ります。
さまざまな価値観がぶつかり合い、自信をなくしがちな現代人にとって、救いになる一冊です。
興味を持った人は、ぜひ本を手に取ってみてください。
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