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生きる力と自信をもらえるカミュ『異邦人』の名言集

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※『異邦人』(カミュ/著 窪田啓作/訳 新潮文庫)の名言を紹介

 

こんにちは、『文人』です。


「自分に自信がない」

「他人から否定されるのが恐い」

多くの人が持っているこれらの悩み。

社会のなかで、本当の自分以上の自分を演じたり、または自分にないものを求められたりして、疲れてしまうことってありますよね。

でも、ありのままの自分を認めるのも、意外とむずかしい。


そんなときに読みたいのが、ノーベル賞作家カミュの名作小説『異邦人』。

主人公の青年「ムルソー」の強烈な生き方に触れると、

「自分は自分でいいんだ」

という気持ちになれます。


そこで今回は『異邦人』の中の名言をわかりやすく紹介していきます。

 

 

名言①
きょう、ママンが死んだ。

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きょう、ママンが死んだ。

 

『異邦人』(カミュ/著 窪田啓作/訳 新潮文庫)P6より引用

 

小説の第一文目。

主人公の青年「ムルソー」はこう語り出します。


養老院に預けていた母親が亡くなりました。

報せを受けた「ムルソー」は、養老院へ向かい、通夜と埋葬を行います。

ところが、納棺された母親の顔を見ることを拒否する彼。

通夜のときには、煙草を吸い、ミルクコーヒーを飲み、涙ひとつ流さない。

埋葬のときも、黙祷すらささげません。


ムルソー」が感じていたのは、照りつける強烈な太陽と、通夜の疲労と、眠気。

亡くなった母親に対する「ムルソー」の無関心ともいえる態度。

これが後になって彼の立場を不利にする、運命的な出来事となります。

 

名言②
そこで、われわれは例の二人のアラビア人に逢ったのだ。

 

そこで、われわれは例の二人のアラビア人に逢ったのだ。

 

『異邦人』(カミュ/著 窪田啓作/訳 新潮文庫)P59より引用

 

ムルソー」と同じアパートに住む友人がいます。

その友人は、女性絡みのトラブルで、アラビア人と喧嘩をしました。

それ以来、アラビア人との因縁が生じます。


ある日、「ムルソー」はその友人や仲間といっしょに海水浴へ出かけます。

そこで、例のアラビア人と遭遇。

またしても喧嘩になります。

友人はアラビア人から刃物を向けられ、負傷しました。

 

 

 

名言③
焼けつくような光に堪えかねて、私は一歩前に踏み出した。

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それはママンを埋葬した日と同じ太陽だった。あのときのように、特に額に痛みを感じ、ありとある血管が、皮膚のしたで、一どきに脈打っていた。焼けつくような光に堪えかねて、私は一歩前に踏み出した。私はそれがばかげたことだと知っていたし、一歩体をうつしたところで、太陽からのがれられないことも、わかっていた。それでも、一歩、ただひと足、私は前に踏み出した。

 

『異邦人』(カミュ/著 窪田啓作/訳 新潮文庫)P62より引用

 

海岸で起きた、アラビア人との衝突。

その日は、母親を埋葬した日と同じ太陽だった、と「ムルソー」は語ります。


友人が喧嘩で負傷した後、「ムルソー」はひとりで海岸を散歩しました。

気がつくと、そこはさっき喧嘩をした現場。

ひとりのアラビア人が残っていました。

相手はこちらに気づき、警戒の色をみせます。


緊張感のなか、対峙するふたり。

もし引き返していれば、何も起きなかったかもしれない。

しかし、「ムルソー」は一歩、前に踏み出します。

「ばかげたことだ」と自覚しながらも、相手に向かってしまったのです。


この衝動的な行動が、後の「ムルソー」の悲劇につながります。

母親の埋葬の日と同じように、運命的な出来事でした。

 

名言④
それは私が不幸のとびらをたたいた、四つの短い音にも似ていた。

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そこで、私はこの身動きしない体に、なお四たび撃ちこんだ。弾丸は深くくい入ったが、そうとも見えなかった。それは私が不幸のとびらをたたいた、四つの短い音にも似ていた。

 

『異邦人』(カミュ/著 窪田啓作/訳 新潮文庫)P63より引用

 

アラビア人と対峙した「ムルソー」。

一歩踏み出すと、相手は刃物を抜きました。

ムルソー」は、持ち歩いていた拳銃を構えます。


緊張で、「ムルソー」の手がひきつりました。

と、その時、引き金に力が入ってしまい――発射される銃弾、倒れる相手。


そして、なぜか「ムルソー」はその倒れた体に、さらに四発の銃弾を撃ち込んでしまいました。

 

名言⑤
「なぜ、なぜあなたは、地面に横たわった体に、撃ち込んだのですか?」

 

「なぜ、なぜあなたは、地面に横たわった体に、撃ち込んだのですか?」それでもなお、私は答えるすべがなかった。

 

『異邦人』(カミュ/著 窪田啓作/訳 新潮文庫)P71より引用

 

アラビア人殺害により逮捕された「ムルソー」。

判事から尋問を受けることになります。

一発目を撃った後、間を空けて、二発目を撃ったのはなぜか?

なぜ倒れた相手の体に銃弾を撃ち込んだのか?


しかし、「ムルソー」には答えようがありませんでした。

明確な意図がなかったからです。

ムルソー」の供述には合理性が欠けており、判事にも、担当弁護士にも、悪い印象を与えました。

まったく理解されなかったのです。


パニックになったのか?

無我夢中だったのか?

銃弾を撃ち込んだ「ムルソー」の行為は謎です。

そしてそれは、彼自身にもうまく説明できません。

 

 

 

名言⑥
このとき私は、たった一日だけしか生活しなかった人間でも、優に百年は刑務所で生きてゆかれる、ということがわかった。

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そして、このとき私は、たった一日だけしか生活しなかった人間でも、優に百年は刑務所で生きてゆかれる、ということがわかった。そのひとは、退屈しないで済むだけの、思い出をたくわえているだろう。

 

『異邦人』(カミュ/著 窪田啓作/訳 新潮文庫)P82より引用

 

刑務所で長い月日を過ごす「ムルソー」。

自由を奪われた彼は、かつての生活のありとあらゆる思い出を味わいながら、時間をつぶします。

すると、今まで忘れていたことや、些細なことまで記憶の底から浮かび上がってきました。

彼は退屈することなく刑務所で過ごします。


たとえ一日だけの生活だったとしても、その中には退屈しないだけのたくさんの思い出がある。

それこそ、刑務所で百年過ごせるくらいに。

ムルソー」はそう語ります。

彼はそれくらい濃密な生き方をし、自分の生活を愛していたのです。

 

名言⑦
それは太陽のせいだ

 

私は、早口にすこし言葉をもつれさせながら、そして、自分の滑稽こっけいさを承知しつつ、それは太陽のせいだ、といった。

 

『異邦人』(カミュ/著 窪田啓作/訳 新潮文庫)P107より引用

 

法廷で、裁判官からあらためて殺害の理由を問われた「ムルソー」。

彼は答えます。

「それは太陽のせいだ」

すると、法廷の人々は笑い出します。


しかし、「ムルソー」は冗談で言ったわけではありませんでした。

自分の言葉が、場違いで、おかしなものだと自覚しながらも、誠実に答えました。

要するに、強いて理由を問われたら、

「太陽の暑さでどうかしていたのだ」

と答えるしかなかったのでしょう。

彼には明確な殺意がなかったのです。

 

名言⑧
私は自信を持っている。自分について、すべてについて、君より強く、また、私の人生について、来たるべきあの死について。

 

君はまさに自信満々の様子だ。そうではないか。しかし、その信念のどれをとっても、女の髪の毛一本の重さにも値しない。君は死人のような生き方をしているから、自分が生きているということにさえ、自信がない。私はといえば、両手はからっぽのようだ。しかし、私は自信を持っている。自分について、すべてについて、君より強く、また、私の人生について、来たるべきあの死について。

 

『異邦人』(カミュ/著 窪田啓作/訳 新潮文庫)P124より引用

 

ムルソー」に言い渡された判決は、死刑。

断頭台で処刑されることが決まりました。


収監されている「ムルソー」のところに、神父が訪ねてきました。

神について。人間の罪について。人生の意味について。

観念的な教えを説こうとする神父。

しかし「ムルソー」は、神を信じていない。罪も感じていない。人生の意味も認めない。


ムルソー」は激昂し、神父に反論します。

君の信念は「女の髪の毛一本」ほどの重みさえない。

君は死人のような生き方をしているから、自分の生き方に自信がないのだ。

では私はどうか。

私には強い自信がある。

自分の人生に対しても、自分の死に対しても。


すべてに自信を持った「ムルソー」の強烈な生き方。

まさに太陽のような、くもりのない人間です。

 

名言⑨
人殺しとして告発され、その男が、母の埋葬に際して涙を流さなかったために処刑されたとしても、それは何の意味があろう?

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他のひとたちもまた、いつか処刑されるだろう。君もまた処刑されるだろう。人殺しとして告発され、その男が、母の埋葬に際して涙を流さなかったために処刑されたとしても、それは何の意味があろう?

 

『異邦人』(カミュ/著 窪田啓作/訳 新潮文庫)P125より引用

 

ムルソー」の裁判は、検事による一方的な人格否定でした。


母親の埋葬のとき涙を流さなかったこと。終始落ち着いていたこと。

アラビア人殺害の際、倒れた相手に四発の銃弾を撃ち込んだこと。

逮捕後も、罪を感じている様子がないこと。


検事はさまざまな証言を根拠に、

この男は非人間的であり、罪を自覚させることも、心情に訴えることもできないために、社会から排除すべき存在である、

と断言。

こうして「ムルソー」は、正義と法のために、排除されることになったのです。


処刑という制度があるかぎり、すべての人間に処刑される可能性がある。

正義や法は、あいまいで不完全なもの。

ひとりの人間が、悪と認定され、処刑されることに何の意味がある?

ムルソー」はそう言いたかったのでしょう。

 

名言⑩
私は、自分が幸福だったし、今もなお幸福であることを悟った。

 

これほど世界を自分に近いものと感じ、自分の兄弟のように感じると、私は、自分が幸福だったし、今もなお幸福であることを悟った。

 

『異邦人』(カミュ/著 窪田啓作/訳 新潮文庫)P127より引用

 

死刑執行を待つ「ムルソー」。

夜、亡くなった「ママン」のことを思います。

養老院で過ごし、自分の最期が近いことを知っていた母親。

そんな母親の気持ちを思いやります。


母親と同じように、自分ももうすぐ亡くなる。

そう考えると、「ママン」が親密に感じられ、自分を包む世界にも心を開くことができる。

死刑を受け入れた「ムルソー」は、不幸どころか、逆に幸福感で満たされていました。

 

 

 

まとめ

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ムルソー」の幸福感はどこから来るのか?

彼はありのままの自分と、その人生のすべてを受け入れています。

母親を愛し、自分の生活をまるごと愛し、あらゆる他者を受け入れ、そして不条理な死刑さえも受け入れる。

ムルソー」は「いま」を正直に生きているのです。


カミュ『異邦人』の名言集、いかがでしたか?

興味を持った人は、ぜひ本を手に取ってみてください。

 

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