※『異邦人』(カミュ/著 窪田啓作/訳 新潮文庫)の名言を紹介
こんにちは、『文人』です。
「自分に自信がない」
「他人から否定されるのが恐い」
多くの人が持っているこれらの悩み。
社会のなかで、本当の自分以上の自分を演じたり、または自分にないものを求められたりして、疲れてしまうことってありますよね。
でも、ありのままの自分を認めるのも、意外とむずかしい。
そんなときに読みたいのが、ノーベル賞作家カミュの名作小説『異邦人』。
主人公の青年「ムルソー」の強烈な生き方に触れると、
「自分は自分でいいんだ」
という気持ちになれます。
そこで今回は『異邦人』の中の名言をわかりやすく紹介していきます。
名言①
きょう、ママンが死んだ。
きょう、ママンが死んだ。
小説の第一文目。
主人公の青年「ムルソー」はこう語り出します。
養老院に預けていた母親が亡くなりました。
報せを受けた「ムルソー」は、養老院へ向かい、通夜と埋葬を行います。
ところが、納棺された母親の顔を見ることを拒否する彼。
通夜のときには、煙草を吸い、ミルクコーヒーを飲み、涙ひとつ流さない。
埋葬のときも、黙祷すらささげません。
「ムルソー」が感じていたのは、照りつける強烈な太陽と、通夜の疲労と、眠気。
亡くなった母親に対する「ムルソー」の無関心ともいえる態度。
これが後になって彼の立場を不利にする、運命的な出来事となります。
名言②
そこで、われわれは例の二人のアラビア人に逢ったのだ。
そこで、われわれは例の二人のアラビア人に逢ったのだ。
「ムルソー」と同じアパートに住む友人がいます。
その友人は、女性絡みのトラブルで、アラビア人と喧嘩をしました。
それ以来、アラビア人との因縁が生じます。
ある日、「ムルソー」はその友人や仲間といっしょに海水浴へ出かけます。
そこで、例のアラビア人と遭遇。
またしても喧嘩になります。
友人はアラビア人から刃物を向けられ、負傷しました。
名言③
焼けつくような光に堪えかねて、私は一歩前に踏み出した。
それはママンを埋葬した日と同じ太陽だった。あのときのように、特に額に痛みを感じ、ありとある血管が、皮膚のしたで、一どきに脈打っていた。焼けつくような光に堪えかねて、私は一歩前に踏み出した。私はそれがばかげたことだと知っていたし、一歩体をうつしたところで、太陽からのがれられないことも、わかっていた。それでも、一歩、ただひと足、私は前に踏み出した。
海岸で起きた、アラビア人との衝突。
その日は、母親を埋葬した日と同じ太陽だった、と「ムルソー」は語ります。
友人が喧嘩で負傷した後、「ムルソー」はひとりで海岸を散歩しました。
気がつくと、そこはさっき喧嘩をした現場。
ひとりのアラビア人が残っていました。
相手はこちらに気づき、警戒の色をみせます。
緊張感のなか、対峙するふたり。
もし引き返していれば、何も起きなかったかもしれない。
しかし、「ムルソー」は一歩、前に踏み出します。
「ばかげたことだ」と自覚しながらも、相手に向かってしまったのです。
この衝動的な行動が、後の「ムルソー」の悲劇につながります。
母親の埋葬の日と同じように、運命的な出来事でした。
名言④
それは私が不幸のとびらをたたいた、四つの短い音にも似ていた。
そこで、私はこの身動きしない体に、なお四たび撃ちこんだ。弾丸は深くくい入ったが、そうとも見えなかった。それは私が不幸のとびらをたたいた、四つの短い音にも似ていた。
アラビア人と対峙した「ムルソー」。
一歩踏み出すと、相手は刃物を抜きました。
「ムルソー」は、持ち歩いていた拳銃を構えます。
緊張で、「ムルソー」の手がひきつりました。
と、その時、引き金に力が入ってしまい――発射される銃弾、倒れる相手。
そして、なぜか「ムルソー」はその倒れた体に、さらに四発の銃弾を撃ち込んでしまいました。
名言⑤
「なぜ、なぜあなたは、地面に横たわった体に、撃ち込んだのですか?」
「なぜ、なぜあなたは、地面に横たわった体に、撃ち込んだのですか?」それでもなお、私は答えるすべがなかった。
アラビア人殺害により逮捕された「ムルソー」。
判事から尋問を受けることになります。
一発目を撃った後、間を空けて、二発目を撃ったのはなぜか?
なぜ倒れた相手の体に銃弾を撃ち込んだのか?
しかし、「ムルソー」には答えようがありませんでした。
明確な意図がなかったからです。
「ムルソー」の供述には合理性が欠けており、判事にも、担当弁護士にも、悪い印象を与えました。
まったく理解されなかったのです。
パニックになったのか?
無我夢中だったのか?
銃弾を撃ち込んだ「ムルソー」の行為は謎です。
そしてそれは、彼自身にもうまく説明できません。
名言⑥
このとき私は、たった一日だけしか生活しなかった人間でも、優に百年は刑務所で生きてゆかれる、ということがわかった。
そして、このとき私は、たった一日だけしか生活しなかった人間でも、優に百年は刑務所で生きてゆかれる、ということがわかった。そのひとは、退屈しないで済むだけの、思い出をたくわえているだろう。
刑務所で長い月日を過ごす「ムルソー」。
自由を奪われた彼は、かつての生活のありとあらゆる思い出を味わいながら、時間をつぶします。
すると、今まで忘れていたことや、些細なことまで記憶の底から浮かび上がってきました。
彼は退屈することなく刑務所で過ごします。
たとえ一日だけの生活だったとしても、その中には退屈しないだけのたくさんの思い出がある。
それこそ、刑務所で百年過ごせるくらいに。
「ムルソー」はそう語ります。
彼はそれくらい濃密な生き方をし、自分の生活を愛していたのです。
名言⑦
それは太陽のせいだ
私は、早口にすこし言葉をもつれさせながら、そして、自分の滑稽さを承知しつつ、それは太陽のせいだ、といった。
法廷で、裁判官からあらためて殺害の理由を問われた「ムルソー」。
彼は答えます。
「それは太陽のせいだ」
すると、法廷の人々は笑い出します。
しかし、「ムルソー」は冗談で言ったわけではありませんでした。
自分の言葉が、場違いで、おかしなものだと自覚しながらも、誠実に答えました。
要するに、強いて理由を問われたら、
「太陽の暑さでどうかしていたのだ」
と答えるしかなかったのでしょう。
彼には明確な殺意がなかったのです。
名言⑧
私は自信を持っている。自分について、すべてについて、君より強く、また、私の人生について、来たるべきあの死について。
君はまさに自信満々の様子だ。そうではないか。しかし、その信念のどれをとっても、女の髪の毛一本の重さにも値しない。君は死人のような生き方をしているから、自分が生きているということにさえ、自信がない。私はといえば、両手はからっぽのようだ。しかし、私は自信を持っている。自分について、すべてについて、君より強く、また、私の人生について、来たるべきあの死について。
「ムルソー」に言い渡された判決は、死刑。
断頭台で処刑されることが決まりました。
収監されている「ムルソー」のところに、神父が訪ねてきました。
神について。人間の罪について。人生の意味について。
観念的な教えを説こうとする神父。
しかし「ムルソー」は、神を信じていない。罪も感じていない。人生の意味も認めない。
「ムルソー」は激昂し、神父に反論します。
君の信念は「女の髪の毛一本」ほどの重みさえない。
君は死人のような生き方をしているから、自分の生き方に自信がないのだ。
では私はどうか。
私には強い自信がある。
自分の人生に対しても、自分の死に対しても。
すべてに自信を持った「ムルソー」の強烈な生き方。
まさに太陽のような、くもりのない人間です。
名言⑨
人殺しとして告発され、その男が、母の埋葬に際して涙を流さなかったために処刑されたとしても、それは何の意味があろう?
他のひとたちもまた、いつか処刑されるだろう。君もまた処刑されるだろう。人殺しとして告発され、その男が、母の埋葬に際して涙を流さなかったために処刑されたとしても、それは何の意味があろう?
「ムルソー」の裁判は、検事による一方的な人格否定でした。
母親の埋葬のとき涙を流さなかったこと。終始落ち着いていたこと。
アラビア人殺害の際、倒れた相手に四発の銃弾を撃ち込んだこと。
逮捕後も、罪を感じている様子がないこと。
検事はさまざまな証言を根拠に、
この男は非人間的であり、罪を自覚させることも、心情に訴えることもできないために、社会から排除すべき存在である、
と断言。
こうして「ムルソー」は、正義と法のために、排除されることになったのです。
処刑という制度があるかぎり、すべての人間に処刑される可能性がある。
正義や法は、あいまいで不完全なもの。
ひとりの人間が、悪と認定され、処刑されることに何の意味がある?
「ムルソー」はそう言いたかったのでしょう。
名言⑩
私は、自分が幸福だったし、今もなお幸福であることを悟った。
これほど世界を自分に近いものと感じ、自分の兄弟のように感じると、私は、自分が幸福だったし、今もなお幸福であることを悟った。
死刑執行を待つ「ムルソー」。
夜、亡くなった「ママン」のことを思います。
養老院で過ごし、自分の最期が近いことを知っていた母親。
そんな母親の気持ちを思いやります。
母親と同じように、自分ももうすぐ亡くなる。
そう考えると、「ママン」が親密に感じられ、自分を包む世界にも心を開くことができる。
死刑を受け入れた「ムルソー」は、不幸どころか、逆に幸福感で満たされていました。
まとめ
「ムルソー」の幸福感はどこから来るのか?
彼はありのままの自分と、その人生のすべてを受け入れています。
母親を愛し、自分の生活をまるごと愛し、あらゆる他者を受け入れ、そして不条理な死刑さえも受け入れる。
「ムルソー」は「いま」を正直に生きているのです。
カミュ『異邦人』の名言集、いかがでしたか?
興味を持った人は、ぜひ本を手に取ってみてください。
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