当ブログにはプロモーションが含まれています

【書評】究極の自己肯定者ムルソーの生涯――カミュ『異邦人』

f:id:humibito:20201201224728j:plain

『異邦人』(カミュ/著 窪田啓作/訳 新潮文庫)のレビュー

 

 

『異邦人』は謎の多い小説だ。なぜ主人公の青年「ムルソー」はアラビア人を殺害してしまったのか? なぜ裁判のとき、彼の人間性が徹底的に否定され、死刑判決が下されたのか? なぜ彼は罪を認めていないのに死刑を受け入れてしまうのか? モヤモヤする。

けれども、そのモヤモヤの理由は、かんたんに説明できる。つまり、「ムルソー」がまぎれもなく人間的で、純粋で、あるがままに生きているから。この一言に尽きると思う。

ムルソー」は語る。母親が亡くなったことに対して、涙を流さなかったこと。通夜のとき、煙草を吸い、ミルクコーヒーを飲んだこと。母親を埋葬した翌日から、海水浴を楽しみ、女友達と喜劇映画を観て、夜には情事があったこと。アラビア人とのトラブルに巻き込まれ、思いがけず相手を拳銃で撃ってしまい、その後さらに四発の弾丸を撃ち込んだこと。

法廷では、さまざまな証言から、「ムルソー」の非情さ、冷酷さ、人間としての破綻が説明され、改心の見込みなしと判定される。そして正義と法によって裁かれ、社会から文字通り抹殺されてしまう。では「ムルソー」はほんとうに法廷で示された通り、抹殺されるべき存在だったのか? 決してそうではない。

涙を流さなかったが、「ムルソー」は彼なりの愛し方で、母親を愛していた。アラビア人を殺害してしまったのは偶然で、明確な殺意はなかった。ただ倒れた相手に四発の弾丸を撃ち込んでしまったことは、本人にもわからず、答えようがない。

――このように「ムルソー」は尋問に対して、まったく自分を偽らずに、いつも通りの言葉づかいで誠実に答える。しかし問題なのは、その答え方が常識はずれで、合理性に欠いていること。なぜ殺人を犯したのかと問われた彼は、笑われるのを承知で、こう答える。

「それは太陽のせいだ」

ムルソー」の言葉は、法廷では理解されない。結果、都合の悪い事実の断片のみが取り上げられ、この男は救いがたい悪である、という印象が作り上げられてしまう。


ムルソー」は自分を偽らない。そして起こってしまった出来事を、そのまま受け入れる。そんな彼の生き方と照らし合わせてみると、私たちがいかに建前で生きているか、思い知らされる。周りに納得してもらえるよう、もっともらしい理由を考えたり、オーバーリアクションをしたり、話を盛ったり。社会に出たら、人間は合理的でなければならない。だから建前を上手に使って、合理的であろうとする。それができない場合、「ムルソー」のように排除されてしまうかもしれない。

自分に自信がなく、建前に疲れ、否定されるのが恐い。そういう人にとって、「ムルソー」はとても魅力的な主人公だ。彼は死刑を前にしても、幸福感に満たされている。最期まで自分に自信を持ち、生活を愛し、そして人生を肯定する。生きていることの幸福をかみしめたくなるような小説だ。

 

 

🔎おすすめの記事

honwohirakuseikatu.hatenablog.com

honwohirakuseikatu.hatenablog.com