旅の触れ合いと青春を描いた川端康成『伊豆の踊子』の魅力
こんにちは、『文人』です。
短編小説『伊豆の踊子』は、川端康成の初期の名作。
伊豆のひとり旅をする学生と、若く美しい踊子。
旅を通じて知り合ったふたりの男女の、心の触れ合いをドラマチックに描いた物語です。
美しい情景、温かい人々、心の成長……
旅の醍醐味と青春が詰まっていて、いま読んでも新鮮な小説です。
今回はそんな『伊豆の踊子』の内容と魅力をわかりやすく紹介していきます。
『伊豆の踊子』とは?
旧制高校生である主人公が孤独に悩み、伊豆へのひとり旅に出かける。途中、旅芸人の一団と出会い、そのなかの踊子に、心をひかれてゆく。清純無垢な踊子への想いをつのらせ、孤児意識の強い主人公の心がほぐれるさまは、清冽さが漂う美しい青春の一瞬……。
- 作者は川端康成(1899~1972)
代表作は、『伊豆の踊子』、『雪国』、『古都』、『眠れる美女』など。
1968(昭和43)年、日本人初のノーベル文学賞受賞。 - 大正7年(1918)、川端康成は19歳で、伊豆へ旅行に出かけました。
そのときに旅芸人の一行と出会い、道連れになります。
この体験が『伊豆の踊子』を生みました。 - 新潮文庫版に収められている作品は、
「伊豆の踊子」、「温泉宿」、「抒情歌」、「禽獣」
の4編。
どれも読みごたえのある秀作ばかりなのが魅力です。
三島由紀夫の解説付き。
魅力①
現実逃避の旅
『伊豆の踊子』の主人公「私」は、二十歳の学生。
東京から伊豆へ、ひとり旅をしています。
その途中、伊豆を渡り歩きながら興行をしている旅芸人の一行と出会い、しばらく一緒に旅をすることになります。
この旅芸人、とりわけ若々しく美しい踊子との交流と、別れが描かれています。
○「私」の境遇
作中、「私」の境遇はあまり語られません。
明らかになるのは、「私」が孤児であること。
孤独な環境で育ち、心がゆがみ、憂鬱な日常を過ごしていました。
その息苦しさから逃げ出すようにして、伊豆の旅に出たのです。
「私」が自分のことをあまり語らないのは、現実逃避の旅だからでしょう。
伊豆の旅のなかで、「私」は日常から離れ、新鮮な体験を重ねていきます。
そして出会ったのが、踊子です。
○踊子に惹かれる「私」
まだ世間知らずの学生である「私」にとって、踊子はめずらしい存在です。
彼女の古風な容姿や、大人びた化粧や、初々しいしぐさに、
「私」は心惹かれます。
この踊子との出会いと別れの体験が、孤独で憂鬱だった「私」の心を清らかに変えていくのです。
○豊かな旅情
『伊豆の踊子』の魅力のひとつは、旅の情感が生き生きと感じられるところ。
「私」の心の動き、伊豆の情景、さまざまな人との触れ合いを通して、まるで読者自身が旅をしているような感覚を味わえます。
魅力②
踊子の純潔
伊豆で「私」が出会った、踊子たち旅芸人。
当時、旅芸人は社会的な身分が低く、差別されていました。
貧しく、汚らわしく、呼ばれさえすればどこにでも泊まる連中。
そんなふうに世間から軽蔑されています。
実のところ、「私」が踊子に惹かれたのも、性的な魅力を感じたから。
夜、踊子を部屋に泊めてやろう。
そんな下心を抱えて、旅芸人と道連れになったのです。
○踊子の正体
しかし、踊子と夜を共にする機会もなく、もどかしい気持ちで朝を迎えた「私」。
宿の温泉に浸かります。
すると、外の共同湯のほうに、真っ裸の踊子の姿を見つけます。
踊子もこちらに気づき、両手を挙げました。
若桐のように足のよく伸びた白い裸身を眺めて、私は心に清水を感じ、ほうっと深い息を吐いてから、ことこと笑った。子供なんだ。私達を見つけた喜びで真裸のまま日の光の中に飛び出し、爪先きで背一ぱいに伸び上る程に子供なんだ。私は朗らかな喜びでことことと笑い続けた。
その様子を見た「私」は、「心に清水を感じ」、「ことこと」笑います。
年頃の娘だと思い込んでいた踊子は、実際はまだ子供だったのです。
大人びた化粧にだまされていたわけです。
すっかり心を洗われた「私」は、素直な気持ちで、踊子と接するようになります。
○踊子の言葉に救われる「私」
旅芸人のみんなと親しくなっていく「私」。
社会的差別を超えた、自然な触れ合い。
そうして「私」は、旅芸人と過ごすなかで、家族のような温もりを感じます。
踊子は、「私」に好意を示し、こんな言葉を口にします。
「ほんとにいい人ね。いい人はいいね」
踊子の口から自然に出た、幼い無邪気な言葉。
この言葉に「私」は救われます。
「孤児根性」で心がゆがみ、自己嫌悪していた「私」ですが、
踊子のおかげで、
「自分はいい人なのだ」
と素直な自信を持つことができたのです。
魅力③
『伊豆の踊子』のテーマ
『伊豆の踊子』に描かれているのは、
「人との純粋な触れ合いのなかで生まれた、一体感と幸福感」
伊豆の旅が終わり、踊子との別れが来ました。
まだ男を知らず、女としても未熟な踊子。
その純潔な踊子との、純粋な触れ合いが、「私」を大きく変えました。
孤児として育った孤独から、心がゆがみ、自己嫌悪していた「私」ですが、踊子との心の触れ合いをとおして素直で清らかな気持ちを取り戻します。
踊子と別れたあと、帰りの船の中で、「私」の眼からは自然と涙が流れ出します。
それは別れの辛さだけではなく、人の温もりに触れて、心がほぐれたためでもある。
そうして「私」は素直な気持ちで、まるで自分と周りのすべてのものがひとつになったような、一体感と幸福感をかみしめるのです。
おわりに
人との触れ合いが減り、孤独を感じ、自己嫌悪したり、自信を失ったりすることの多い現代。
そんな現代に生きる私たちと、『伊豆の踊子』の主人公の抱えている悩みは、意外とリンクしています。
小説で描かれている旅の情感も、青春も、共感しながら読めるのが最大の魅力です。
興味を持ったら、ぜひ本を手に取ってみてください。
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