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【書評】旅の息抜きと人間的な幸福感を描いた『伊豆の踊子』(川端康成)

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川端康成伊豆の踊子』のレビュー

 

 

旅の目的はさまざまだけれど、その根っこにある気持ちは、たぶん誰もが共有しているものだ。つまり、日常から離脱したいという気持ち。ふだんの生活や人間関係、そういう身辺の環境が息苦しくなってきた時、旅に出て、息抜きをする。新鮮な土地の空気を吸って、身も心も清める。そのような旅の効用は、今も昔も変わらない。川端康成の『伊豆の踊子』を読むと、まるで本当に旅をしたような気分になる。


主人公の「私」は二十歳の学生。ひとりで伊豆の旅をしている。孤児である「私」は孤独を抱えており、心がゆがみ、憂鬱な日常を過ごしていた。その息苦しさから逃げ出すようにして、伊豆の旅に出たという。

そんな「私」が旅の途中に出会ったのが、旅芸人の一行だ。伊豆をめぐりながら興行をしている旅芸人の中には、若々しく美しい踊子がいた。古風な髪型に、大人びた化粧をした踊子の容姿に、「私」は惹きつけられる。まだ世間知らずの学生である「私」には、旅芸人の踊子がめずらしい。


旅芸人の一行と親しくなった「私」は、一緒に旅をすることになる。当時、社会的な身分が低く、差別されていた旅芸人。けれども身分を超えた心の触れ合いを経て、好意を通わせ、「私」は旅芸人たちから家族同様に受け入れられる。それだけに、別れがつらい。旅芸人たち、とりわけ踊子との別れのあと、「私」は涙を流す。

「私」の涙は、単純に別れがつらいというだけのものではない。「私」は涙が流れるにまかせて、幸福な気分を味わっている。旅に出て、出会う人々の温もりに触れ、心を通わせ、自分は世の中に受け入れられていると知った時の、心地よい気分。そういう人間としての幸福を全身で味わっているのだ。


ふだんの境遇や身分から離れて、ただの旅の人になること。そしてまったく異なる種類の人と触れ合うこと。その純粋な交感のなかで、しんみりと湧いてくる人間的な気持ち。そうした旅の体験が、『伊豆の踊子』の短い物語には凝縮されている。

 

 

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