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青春のひとり旅を味わえる川端康成『伊豆の踊子』の名言集

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川端康成伊豆の踊子』の名言紹介

 

こんにちは、『文人』です。


日々の生活のなかで経験する、嫌なこと、辛いこと……

そうして息苦しさを感じたとき、

「旅に出たいなぁ」

と思うことってありますよね。


そんなときの読書にぴったりなのが、

川端康成の名作小説『伊豆の踊子』です。


現実から逃げ出すようにして、伊豆への旅に出た若者の物語。

悩める若者の青春のひとり旅がみずみずしく描かれています。


今回はそんな『伊豆の踊子』の中の名言をわかりやすく紹介していきます。

 

 

名言①
道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。

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 道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。

 

伊豆の踊子』(川端康成/著 新潮文庫)P8より引用

 

主人公の「私」は、二十歳の学生。

東京から、ひとりで伊豆の旅をしています。

修善寺温泉に1泊、湯ヶ島温泉に2泊。

そして4日目のいま、天城峠を歩いています。


雨に濡れながら、山道を歩く「私」。

「雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た」

「私」はまるで雨脚に追われるような忙しなさで歩き続けています。


そんなにまで急いでいるのは、雨に濡れたくないから?

それだけではありません。

 

名言②
踊子は十七くらいに見えた。私には分らない古風の不思議な形に大きく髪を結っていた。それが卵形の凛々しい顔を非常に小さく見せながらも、美しく調和していた。

 

 踊子おどりこは十七くらいに見えた。私には分らない古風の不思議な形に大きく髪を っていた。それが卵形の凛々りりしい顔を非常に小さく見せながらも、美しく調和していた。

 

伊豆の踊子』(川端康成/著 新潮文庫)P9より引用

 

天城峠の茶屋で、「私」は旅芸人の一行に追いつきます。

伊豆を渡り歩きながら興行をしている旅芸人。

「私」が急いでいたのは、旅芸人に追いつくためでした。


その中のひとり、若々しく美しい踊子に、「私」は強く惹きつけられます。

「古風な不思議な形」の髪。

「卵形の凛々しい顔」。

まだ世間知らずの「私」にとって、踊子の姿はめずらしく、そして魅力的でした。


旅に出ると、さまざまなものが新鮮に映り、旅情を感じますよね。

「私」の眼に映った踊子も、まさにそんな存在だったのです。

 

 

 

名言③
あんな者、どこで泊るやら分るものでございますか、旦那様。

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「あの芸人は今夜どこで泊るんでしょう」
あんな者、どこで泊るやら分るものでございますか、旦那様。お客があればあり次第、どこにだって泊るんでございますよ。今夜の宿のあてなんぞございますものか」
 はなはだしい軽蔑を含んだ婆さんの言葉が、それならば、踊子を今夜は私の部屋に泊らせるのだ、と思った程私をあおり立てた。

 

伊豆の踊子』(川端康成/著 新潮文庫)P11.12より引用

 

踊子のことが気になって仕方がない「私」。

茶屋の婆さんに、あの旅芸人はどこに泊まるのかと尋ねたところ、

「あんな者、どこで泊るやら分るものでございますか、旦那様。お客があればあり次第、どこにだって泊るんでございますよ」

婆さんの言葉には、旅芸人に対する露骨な差別がふくまれていました。


それを聞いた「私」は、欲望を掻き立てられます。

今夜、あの踊子を自分の部屋に泊めて、情事を愉しもう。


当時、学生は一般的に尊敬されており、対して旅芸人は卑しまれていました。

茶屋の婆さんから見れば、「私」は「旦那様」であり、踊子たち旅芸人は「あんな者」。

伊豆の踊子』には社会的差別がはっきりと描かれています。

 

名言④
若桐のように足のよく伸びた白い裸身を眺めて、私は心に清水を感じ、ほうっと深い息を吐いてから、ことこと笑った。子供なんだ。

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若桐わかぎりのように足のよく伸びた白い裸身を眺めて、私は心に清水を感じ、ほうっと深い息を吐いてから、ことこと笑った。子供なんだ。私達を見つけた喜びで真裸のまま日の光の中に飛び出し、爪先つまさきで背一ぱいに伸び上る程に子供なんだ。私は朗らかな喜びでことことと笑い続けた。

 

伊豆の踊子』(川端康成/著 新潮文庫)P20.21より引用

 

踊子たち旅芸人と親しくなった「私」。

しばらく一緒に旅をすることになりました。


夜、踊子は別の座敷に呼ばれてしまった様子。

「私」はその賑やかな音を聴きながら、もどかしい夜を明かします。


翌朝、宿の温泉に浸かる「私」。

すると、外の共同湯のほうに、素っ裸の踊子を見つけます。

こちらに気づいた踊子は、裸のまま両手を挙げて、無邪気にはしゃいでいる。

娘盛りだと思い込んでいた踊子は、実はあどけない子供だったのです。

大人びた化粧にだまされていたのだと分かりました。



異性を意識して緊張していた気持ちがほぐれ、

「心に清水を感じ」、「ことこと」笑う「私」。

洗われたような純粋さが感じられる場面です。

「私」はだんだん素直になり、旅芸人の人々との友情を深めていきます。

 

名言⑤
「ほんとにいい人ね。いい人はいいね」

 

「ほんとにいい人ね。いい人はいいね」
 この物言いは単純で開けっ放しな響きを持っていた。感情の傾きをぽいと幼く投げ出して見せた声だった。私自身にも自分をいい人だと素直に感じることが出来た。

 

伊豆の踊子』(川端康成/著 新潮文庫)P37より引用

 

「私」は旅芸人といっしょに下田へ行くことに。

道中の雑談のなかで、踊子が「私」のうわさ話をしています。

前を歩きながら聞き耳を立てていた「私」は、踊子がこう言うのを聞きました。

「ほんとにいい人ね。いい人はいいね」


踊子の幼い無邪気な言葉に、「私」は救われます。

自分を「いい人」だと信じて、受け入れてくれたことに、感動したのです。

なぜなら、「私」はある不幸な境遇により、自分を好きになれず、周囲にも心を開けずにいたから。

 

 

 

名言⑥
二十歳の私は自分の性質が孤児根性で歪んでいると厳しい反省を重ね、その息苦しい憂鬱に堪え切れないで伊豆の旅に出て来ているのだった。

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二十歳の私は自分の性質が孤児根性で歪んでいると厳しい反省を重ね、その息苦しい憂鬱にえ切れないで伊豆の旅に出て来ているのだった。

 

伊豆の踊子』(川端康成/著 新潮文庫)P38より引用

 

主人公「私」の境遇について、作中、ほとんど語られません。

明かされるのは、「私」が孤児であること。

孤独に育った「私」は、心がゆがみ、憂鬱になっていました。

そんな息苦しさから逃げ出すように、旅へ出たのです。


旅の途中で出会った、踊子たち旅芸人の一行。

社会的差別を超えた、旅芸人との心の触れ合いによって、「私」は素直な気持ちを取り戻していきます。

 

名言⑦
「いいえ、今人に別れて来たんです」

 

「何か御不幸でもおありになったのですか」
「いいえ、今人に別れて来たんです」
 私は非常に素直に言った。泣いているのを見られても平気だった。私は何も考えていなかった。ただ清々しい満足の中に静かに眠っているようだった。

 

伊豆の踊子』(川端康成/著 新潮文庫)P45より引用

 

「私」は旅費がなく、最後まで旅ができなくなってしまいました。

家族のように温かく接してくれた踊子たちとの別れは辛いものでした。

帰りの船に乗り込むとき、踊子が見送りに来ました。

何も言わず悲しそうに見送る踊子。


別れてから、船の中で「私」は泣きます。

涙が止まらない「私」を心配して、そばにいた少年が話しかけてきます。

「何か御不幸でもおありになったのですか」


「いいえ、今人に別れて来たんです」

と素直に打ち明け、「私」は涙を流し続けます。

「私」の心は穏やかです。

もちろん別れの寂しさはあるけれど、それだけではありません。


泣きたいから泣く、それが青春。

おそらく「私」は今まで泣きたくても泣けない境遇で生きてきたのでしょう。

素直な心で泣けることの幸福を、「私」はいま全身で感じているのです。

 

名言⑧
私はどんなに親切にされても、それを大変自然に受け入れられるような美しい空虚な気持だった。(中略)何もかもが一つに融け合って感じられた。

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私はどんなに親切にされても、それを大変自然に受け入れられるような美しい空虚な気持だった。(中略)何もかもが一つに融け合って感じられた。

 

伊豆の踊子』(川端康成/著 新潮文庫)P45より引用

 

帰りの船で知り合った少年と打ち解けた「私」。

夜、少年からもらった海苔巻きを食べ、体を寄せ合いながら眠ります。

旅を経て、「私」は人からの親切を素直に受けられる「美しい空虚な気持」になっていました。


以前の「私」は正反対だったのです。

他人から「どんなに親切にされても」、「自然に受け入れられるような」気持ちになれず、心がゆがんでいた。

「何もかもが一つに融け合って感じられ」ることなどなく、常に孤独で、どこにも居場所がなかった。


伊豆の旅と、踊子との出会い。

人々の純粋な温もりに触れて、「私」は大きな救いを得たのです。

 

 

 

まとめ

 

旅のなかで新鮮に映るさまざまなもの。

まったく異なる種類の人々との触れ合い。

心が洗われるような体験。


そのような旅の醍醐味が詰まっているのが、

伊豆の踊子』の魅力です。


青春を感じる要素も多く、何度読み返してもさわやかな読後感がありますよ。

興味を持ったら、ぜひ本を手に取ってみてください。

 

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