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【日常生活の疲れを癒す名作】太宰治『富嶽百景』のあらすじと魅力

 

こんにちは、『文人』です。


太宰治の短編小説『富嶽百景』は、太宰作品の中期の名作。

山梨県の御坂峠に滞在した「私」の眼を通して、さまざまな富士山の姿や、人との心温まる出会いが、魅力的に描かれています。


太宰治といえば、退廃的な暗い作品のイメージが強いですよね。

でも『富嶽百景』は、軽妙かつユーモラスな語り口で、くすりと笑えるエピソードが多く、読むと元気をもらえます。


日常生活に疲れた人にこそおすすめの小説です。


今回はそんな『富嶽百景』のあらすじや執筆背景を紹介しながら、作品の魅力を深く掘り下げていきます。

最後まで読んでいただけたら嬉しいです!

 

 

※「富嶽百景」は、『走れメロス』(太宰治/著 角川文庫)収録の1編です

 

富嶽百景』とは?

 

  • 昭和14年(1939)、太宰治30歳の頃の作品。


  • 太宰治はこれまでに、たびたびの自殺未遂、薬物中毒、芥川賞の落選、最初の妻・初代の不倫、など暗い時期を過ごしていました。


  • 転機となったのは、昭和13年(1938)。


    9月、師・井伏鱒二が滞在していた山梨県の御坂峠の天下茶屋へ。

    井伏に連れられて、甲府市でお見合いをし、後の妻となる石原美和子と出会います。

    11月6日、石原家で婚約式。

    18日に、天下茶屋での滞在を終え、御坂峠を下ります。


    この頃の体験が、『富嶽百景』の題材となっています。


  • 御坂峠を下りた太宰治は、翌年の1月、井伏宅で結婚式を挙げます。

    そして甲府市で、美和子との新婚生活がはじまります。

    落ち着いた新婚生活の中、執筆に専念。

    そして生まれたのが『富嶽百景』です。


  • 富嶽百景』は、明るい作風への転換期に書かれた作品。

    軽妙でユーモラスな語り口、くすりと笑えるエピソードが散りばめられた名作です。

 

富嶽百景』のあらすじ

 

東京のアパートで暮らしていた「私」。

ある人から意外な事実を聞かされ、アパートの一室で酒を飲んで夜を明かす。

明け方、便所の金網の窓から、富士山が見えた。

小さくて、ちょっと傾いていて、苦しい富士。

「私」はそんな富士を見て、便所の金網を撫でながら泣いた。


昭和13年の初秋。

「私」は、「思をあらたにする覚悟」を決めて、旅に出た。


着いた先は、甲州の御坂峠。

御坂峠の頂上、「天下茶屋」という小さな茶屋の部屋を借り、しばらく滞在することにした「私」。


御坂峠は、北面富士の展望台で、富士三景のひとつ。

「私」は毎日、この富士山と向き合うことになった。

あまりに俗っぽくて、まるで「風呂屋のペンキ画」のような富士。

「私」はこの富士があまり好かなかった。


滞在中、「私」は人との出会いを通して、富士山の色々な面を知る。


後に結婚が決まる甲府の娘さんとのお見合い。

そのお見合いの時、娘さんの宅の客間に飾られていた、「まっしろい睡蓮の花」に似た富士の写真。


「先生」と呼んで、慕ってくれる青年たち。

富士山の麓の町に泊まり、青年たちと愉快に酒を飲んだ夜。

ほろ酔いのいい気分で夜道を出歩き、振り向いた時に見えた、青く幻想的な富士。


御坂峠の頂上と麓を往復するバスの車中。

乗客たちが俗な富士山のほうへ首を向ける中、ただひとり、反対側の断崖を眺める老婆。

その老婆に共感して、一緒に断崖を眺めていた折、ちらと見えた黄金色の月見草の花。

「富士には、月見草がよく似合う」


執筆活動がうまくいかない「私」。

寝る前に茶屋の部屋の窓から、富士を眺め、生きることの苦しみを味わい、蒲団の中で苦笑した夜。


11月になると、富士山は雪をかぶり、御坂峠の寒さは耐え難いものになった。

「私」は、山を下りる決心をする。


帰りの前日、御坂峠に、2人の若い娘さんが観光にやってきた。

富士山の前で、「私」にカメラを渡す娘さんたち。

レンズをのぞき込むと、真面目な顔つきで身構える娘さんたちの上に、大きな富士山の姿が見える。


「私」は今までお世話になった富士山に別れを告げて、

「パチリ」

大きな富士山だけをレンズに収めたのだった。

 

 

 

富嶽百景』の魅力
~心を癒す旅の出会い~

 

富嶽百景』の魅力は、心温まるエピソードの数々。


とても嫌なことがあり、日常生活に行き詰まった「私」。

そんな「私」が、「思をあらたにする覚悟」で、山梨県の御坂峠へ向かいます。

いわば、リフレッシュ旅行といったところです。


俗を離れた「私」の、純粋で、生き生きとした視点。

その視点から、富士山の意外な魅力や、さまざまな人との出会いが語られていきます。


作中で特に印象的なのが、月見草のエピソードです。


バスの車窓から見える富士山。

乗り合わせた人々が、その富士山のほうへ首を向けている中……

ただひとり、「私」の隣座席の老婆だけは、反対側の断崖のほうを眺めます。


孤独な「私」は、そんな老婆の振る舞いに親近感を覚えます。

富士に背を向けるように、一緒に断崖のほうを眺めていた折。

老婆が、まるで「私」に教えるように指さします。


その指さした先には、鮮やかな黄金色の月見草。


富士山と、老婆と、月見草と。

ちょっと可笑しくもあり、寂しくもあり、でも心温まる取り合わせです。


心に苦しみを抱えた「私」が、富士山や人との温かい交流を通して、ささやかな生きる希望を見出していく。

そのようなエピソードが、『富嶽百景』には散りばめられているのです。


現代はストレス社会。

日常生活に疲れてしまう時もありますよね。

作中の「私」のように、思い切って旅に出ると、意外な出会いや発見があるかもしれません。


富嶽百景』は、日常生活に疲れた時こそ読みたい名作です。

 

 

 

まとめ

 

太宰治の短編小説『富嶽百景』には、富士山の意外な一面とともに、さまざまな人との心温まる出会いが描かれています。

日常生活に行き詰まり、心に苦しみを抱えている「私」。

そんな「私」が、富士山や人との交流を通して再生していく様子が、生き生きと感じられる名作です。


気になった方は、ぜひ本を手に取ってみてください。

疲れた心の癒しになりますよ!

 

※「富嶽百景」は、『走れメロス』(太宰治/著 角川文庫)収録の1編です

 

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