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【書評】恋と美のめくるめく銀世界――川端康成『雪国』

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『雪国』(川端康成)のレビュー

 

 

『雪国』はいつ読んでも新鮮な小説だ。初めて読んだのが高校生の頃で、それから何度となく読み直しているが、そのたびに「新しい」と感じる。

読後、印象に残るのは、夜の雪景色や、夕暮れの汽車の窓に浮かぶ野山のともし火や、軒下の氷柱や、天の川銀河の広がり、といった断片的な美しい場面ばかり。でも、それらの印象はやがて薄れてしまう。あらすじもあまり覚えていない(そもそも、物語の筋はあってないような小説だから)。それでしばらく経ってから読み直すと、まるで初めて触れるような新鮮さで『雪国』の世界に入っていけるのだ。


主人公の「島村」は定職に就かず、親譲りの財産で暮らしている。趣味が高じて、日本舞踊や西洋舞踊の本を読み漁り、その分野に関する文章を出すこともある。山歩きをすることもある。

そのような生活感の希薄な「島村」と、雪国の若い芸者「駒子こまこ」、ふたりの恋愛が描かれる。しかし恋愛と呼ぶには虚しいほど、純粋で、非現実的だ。

「島村」はすでに結婚していて、子供もいる。「駒子」にもすでに相手がいる。よくいう不倫関係なのだけれど、ふたりはお互いにそのことを承知で求め合っている。1年に1度、女に会うためだけに雪国へ通う「島村」。それを待つ「駒子」は、切ないほど全力で「島村」を愛している。ふたりの恋には駆け引きや計画といったものがなく、自然にお互いを想い合い、束の間の逢瀬をくりかえす。ふたりの恋は、あの織姫星と彦星の伝説のようでもある。


「島村」と「駒子」の恋はどこへ向かうのか? どこにも行き着かない。なぜなら「島村」には「駒子」をどうすることもできないからだ。彼には、「駒子」と一緒になり、根を下ろすだけの現実的な能力がない。そんな「島村」の頼りなさに気づいていながらも、彼をひたむきに慕う「駒子」。

「ほんとうに人を好きになれるのは、もう女だけなんですから」

そう固く信じている「駒子」の生き方は、清らかで美しい。そうして彼女は雪国の土地で、報われることのない恋に身を焦がす。――純粋で、非現実的で、しかしだからこそ古びない『雪国』の世界。読み直すたび、生まれ変わったような気持ちになる。

 

 

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