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放火犯の内面に迫った文学の名作――三島由紀夫『金閣寺』の魅力

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※『金閣寺』(三島由紀夫/著 新潮文庫)の内容紹介

 

こんにちは、『文人』です。


小説『金閣寺』は三島由紀夫の代表作。

文学の名作として今も読み継がれています。

1950年に起こった金閣寺放火事件をモデルに、放火犯の内面が深く描かれています。

主人公の「私」が抱えている悩み、劣等感、孤独……

そして国宝・金閣寺の破壊へ突き進んでいく悲劇。

現代の社会問題にもつながるテーマが潜んでいます。


今回はそんな金閣寺』の内容と魅力をわかりやすく紹介していきます。

 

 

 

 

金閣寺』とは?

 

一九五〇年七月二日、「国宝・金閣寺焼失。放火犯人は寺の青年僧」という衝撃のニュースが世人の耳目を驚かせた。この事件の陰に潜められた若い学僧の悩み――ハンディを背負った宿命の子の、生への消しがたい呪いと、それゆえに金閣の美の魔力に魂を奪われ、ついには幻想と心中するにいたった悲劇……。31歳の鬼才三島が全青春の決算として告白体の名文に綴った不朽の金字塔。

金閣寺』(三島由紀夫/著 新潮文庫)裏表紙の紹介文より 

 

  • 作者は三島由紀夫(1925~1970)

    代表作は、49年『仮面の告白54年『潮騒56年『金閣寺など。

    70年、自衛隊市ヶ谷駐屯地にて割腹自殺。45歳。

    ミシマ文学は世界中で翻訳されています。

    1968年、ノーベル文学賞の候補に選ばれました。


  • 金閣寺』は1950年7月の金閣寺放火事件をモデルにした小説。

    主人公「私」の孤独と、社会からのドロップアウト

    敗戦後の日本にただよう無気力。

    伝統美の象徴「金閣寺」の破壊。

    さまざまなテーマをはらんだフィクション文学です。

 

 

 

 『金閣寺』の魅力

 

①「私」の劣等感と孤独

 

○主人公「私」とは?

 

金閣寺』は、金閣寺放火の犯人である主人公「私」の視点で書かれた小説です。

「私」は、生まれてから金閣寺放火にいたるまでの半生を、自伝風に告白します。


京都府北部の舞鶴市で、お寺の子として生まれた「私」。

父親は小さな寺の住職です。

幼い頃から「私」は、父から金閣寺の話をよく聞かされていました。

金閣ほど美しいものはこの世にない」

父にそう教えられます。

金閣寺の実物をこの眼で見たことのない「私」は、想像のなかで最も美しい金閣寺を思い描きます。

そうして「私」は金閣寺のとりこになります。

さまざまな景色のなかに金閣寺の幻を見るまでになり、その美におぼれてしまうのです。

 

○「私」の劣等感

 

「私」は生まれつき体が弱く、容姿でも人に劣ります。

運動が苦手で、競争でも鉄棒でも人に負けてしまう。

さらに吃音症があり、人前でしゃべろうとすると、どもる癖がある。

運動で負け、吃音のせいで人にからかわれる。


ふつうの人間のように楽しくしゃべることも、遊ぶこともできず、学校ではいつも独り。

「私」は劣等感を抱えながら成長していきます。

 

○「私」の孤独

 

引っ込み思案で、他人と関わるのが苦手な「私」。

十代の半ばにして、優しい父を病気で亡くします。

棺桶に納められた父を見ても、悲しみの感情が出てこない。

感情をうまく表現できないのです。

「私」は周囲の人間から理解されず、常に孤独を感じています。

 

金閣寺への憧れと執着

 

金閣寺が焼けるかもしれない

 

父の死後、父の友人である鹿苑寺金閣寺)の住職に引き取られた「私」。

憧れの金閣寺を観ながら、寺での生活を送ります。


その頃、戦争が激化。

京都の街も空襲で焼けるかもしれない。

もしそうなれば、自分も、金閣寺も焼けるかもしれない。

自分と金閣寺が同じ運命を共有している。

こう考えた「私」は、一体感の喜びを感じます。


孤独な「私」は、自分と、金閣寺と、その他すべてを呑みこむ炎を――大災厄の悲劇を夢見ることで、心をなぐさめていたのです。

 

○「私」の絶望

 

戦争は日本の降伏によって終わりました。

京都が空襲を受けることもなく、金閣寺が焼けることもありませんでした。

「私」の夢想は裏切られました。


孤独な日々がまたこれからも続く。

絶望した「私」は、ゆがんだ暗い思想にとりつかれます。


金閣寺の美に対して、「私」は醜い。

現実も、人間も醜い。

不幸な人間が、周りの不幸を喜ぶように――

「私」は人々の不幸や堕落を見ることで、心をなぐさめようとします。

そればかりでなく、「私」自身も、悪の行為に手を染めるようになります。

 

金閣を焼かなければならぬ

 

青年になった「私」は、父親代わりの住職に反抗したり、大学を無断欠席したりと、素行が悪化していきます。

そしてとうとう、住職から見放されました。

 

 「お前をゆくゆくは後継にしようと心づもりしていたこともあったが、今ははっきりそういう気持がないことを言うて置く」

金閣寺』(三島由紀夫/著 新潮文庫)より引用

 

住職にそう言い渡された「私」。

寺での居場所がなくなり、社会からドロップアウトします。

追い詰められた「私」は、徐々に狂気に駆られていきます。

 

(中略)今までついぞ思いもしなかったこの考えは、生れると同時に、たちまち力を増し、おおきさを増した。むしろ私がそれに包まれた。その想念とは、こうであった。
金閣を焼かなければならぬ』

 『金閣寺』(三島由紀夫/著 新潮文庫)より引用

 

金閣寺への執着から生まれた、突然の破壊衝動。

この世で最も美しい金閣寺を焼く。

価値あるものを破壊したい。

「私」は狂気に突き動かされていきます。

 

③破壊の魅力

 

「○○をぶっ壊す」

「不祥事により○○のSNSが炎上」

「○○叩き」


現代でも私たちの身のまわりにはさまざまな破壊があります。

ストレス、孤立、行き詰まり……

人が追い詰められたとき、思いつくのが破壊。

壊すことで解放感を得たり、現状を打破しようとしたりする。

自分の行いを正当化し、何か重要な意味を見出して、歯止めがきかなくなることもあります。

破壊には人を突き動かす魅力があり、狂気におちいる危険があるのです。


小説『金閣寺』の主人公「私」は、金閣寺を焼くという想念にとりつかれ、狂気の道を進んでいきます。

「私」には罪の意識というものがありません。

金閣寺を破壊することに崇高な意味を見出し、自分の行為に酔ってしまいます。


小説『金閣寺』は放火犯の「私」の内面を描きながら、同時に、破壊へ向かう人間の危うさを浮き彫りにした作品なのです。

 

 

 

おわりに

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三島由紀夫の名作小説『金閣寺』には、個人の生きづらさ、心の闇が深く描かれています。


劣等感や孤独に苦しみ、他人の不幸を見ながら自分をなぐさめる「私」。

社会からの孤立。

追い詰められた末の破壊衝動。


「私」の置かれた状況は、現代の社会問題にも通じているように思います。


「暗そうな小説だな……」

と思うかもしれませんが、それだけではありません。

金閣寺の美しく繊細な描写も、この小説の魅力です。

物語の場面が鮮やかに焼きついて、一度読んだら忘れられない読書体験になりますよ。


興味のある人はぜひ本を手に取ってみてください。

 

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