挫折・苦悩・劣等感……心の闇を照らす三島由紀夫『金閣寺』の名言集
こんにちは、『文人』です。
小説『金閣寺』は三島由紀夫の代表作。
1950年の金閣寺放火事件をモデルにした作品です。
生まれつき体が弱く、容姿に恵まれず、吃音症に悩む主人公の「私」。
青年になった「私」は社会でドロップアウトし、金閣寺の放火を決行する。
挫折・苦悩・劣等感……
誰もがおちいる可能性のある心の闇を、生々しく描き出した名作です。
そんな『金閣寺』のなかの名言を紹介していきます。
名言①
幼時から父は、私によく、金閣のことを語った。
小説の第一文。
金閣寺の放火犯である「私」はそう告白します。
お寺の子として生まれた「私」。
幼い頃、父親から金閣寺の話をよく聞かされていました。
「金閣ほど美しいものはこの世にない」
と語る父。
実物を見たことのない「私」は、父の話により、この世で最も美しい金閣寺への想像をふくらませていきます。
そして「私」は金閣寺のとりこになってしまうのです。
名言②
生来の吃りが、ますます私を引込思案にした。
体も弱く、駈足(かけあし)をしても鉄棒をやっても人に負ける上に、生来の吃りが、ますます私を引込思案にした。
『金閣寺』(三島由紀夫/著 新潮文庫)P7より引用
生まれつき体が弱い「私」。
運動が苦手で、競争でも鉄棒でも人に負けてしまう。
その上どもり癖があり、人前でしゃべろうとしても、言葉がすぐに出てこない。
みんなの話の輪に加われず、「私」は学校で孤立します。
運動で負け、吃音でからかわれ、「私」は劣等感を募らせていきます。
名言③
私の感情にも、吃音があったのだ。
(中略)私の感情にも、吃音があったのだ。
私の感情はいつも間に合わない。その結果、父の死という事件と、 悲しみという感情とが、別々の、孤立した、 お互いに結びつかず犯し合わぬもののように思われる。
『金閣寺』(三島由紀夫/著 新潮文庫)P51より引用
優しい父親が病気で亡くなりました。
その頃の「私」はまだ十代半ば。
棺に納められた父の姿を見ても、悲しみの感情が出てこない。
ふつうの人のように感情をすぐに表現できない自分。
「感情にも、吃音があったのだ」
と「私」は告白します。
みんなと同じ感情を共有し、心を通わせる。
そんな当たり前のようなことが、うまく出来ない。
「私」は常に孤独を抱えています。
名言④
美ということだけを思いつめると、人間はこの世で最も暗黒な思想にしらずしらずぶつかるのである。
(中略)美ということだけを思いつめると、人間はこの世で最も暗黒な思想にしらずしらずぶつかるのである。人間は多分そういう風に出来ているのである。
『金閣寺』(三島由紀夫/著 新潮文庫)P62より引用
金閣は美しい。
金閣ほど美しいものはこの世にない。
金閣寺の美にとらわれてしまった「私」。
成長するにつれて、「私」はゆがんだ暗黒の思想にとりつかれていきます。
美のことを思うとき、同時に、醜さを思う。
美に対する「私」の醜さ。
人間という生き物の醜さ。
美にとらわれた人間がぶつかる暗黒の思想。
それは、現実、人間に対する拒絶です。
名言⑤
『これが俗世だ』と私は思った。
『これが俗世だ』と私は思った。『戦争がおわって、
この灯の下で、人々は邪悪な考えにかられている。(中略)この無数の灯が、悉く邪まな灯だと思うと、私の心は慰められる。』
『金閣寺』(三島由紀夫/著 新潮文庫)P90より引用
父の死後、鹿苑寺(金閣寺)の住職に引き取られた「私」。
しばらく経った頃、日本の降伏により、戦争が終結しました。
戦争が終わり、灯火管制が解かれ、夜の京都の街はたくさんの灯りで輝きます。
山の上から夜の京都の街をながめ、独りで空想にふける「私」。
無数の灯りの下には、人間の邪悪な営みがある。
さまざまな悪の行為がある。
劣等感や孤独に苦しむ「私」は、堕落した人間を見ることで心を慰めるのです。
不幸に苦しむ人間ほど、他人の不幸を喜びます。
自分だけが不幸なのは耐えられない。
だから自分と同じように堕ちていく人間を見ると、安心します。
名言⑥
『金閣を焼かなければならぬ』
青年になった「私」は、悪の行為に魅了されていきます。
その結果、学業がおろそかになり、父親代わりの住職にも見放され、社会からドロップアウトします。
何もかもが嫌になった「私」。
そんな時、頭に浮かんだのが、
「金閣を焼かなければならない」
という想念です。
幼い頃から「私」をとりこにしてきた金閣寺。
絶対的な美の象徴であり、完全な建築物である金閣寺を破壊する。
この考えが「私」に不思議な活力を与えます。
人生の意味を失った人間がやること。
壊すことで、すべてをやり直す。
破壊には人を突き動かす魅力があるのです。
名言⑦
私はこの行為によって、金閣の存在する世界を、金閣の存在しない世界へ押しめぐらすことになろう。
(中略)私はこの行為によって、金閣の存在する世界を、
金閣の存在しない世界へ押しめぐらすことになろう。 世界の意味は確実に変るだろう。
『金閣寺』(三島由紀夫/著 新潮文庫)P247より引用
金閣寺を焼く。
この行為を考えると、「私」の心は生き生きと踊ります。
自分は金閣寺をこの世界から消すことができる。
金閣寺と、「金閣の存在する世界」の存亡は、自分の手のひらの中にある。
この考えに「私」は酔います。
生きる意味を失った「私」は、純粋な破壊によって、現状を打破しようとします。
生きづらいなら、今の世界を壊してしまえばいい。
自分が世界を変える。
こうして「私」は新しい意味を作り出すため、狂気に駆り立てられていくのです。
名言⑧
生きようと私は思った。
別のポケットの煙草が手に触れた。私は煙草を喫んだ。一ト仕事を終えて一服している人がよくそう思うように、生きようと私は思った。
『金閣寺』(三島由紀夫/著 新潮文庫)P330より引用
小説の末尾。
「私」はひそかに計画を練り、ある深夜、金閣寺に忍び込みます。
マッチで火をつけると、恐ろしい勢いで炎は燃え広がりました。
金閣寺から脱出し、山の上から、炎に照り輝く空をながめる。
「私」は煙草を吸いながら、
「生きよう」
と決心します。
葛藤を乗り越え、金閣寺への執着を断ち、新しい人生への一歩を踏み出す「私」。
しかし、ここに皮肉があります。
国宝・金閣寺を焼いた狂人として、「私」は社会に迎えられることになるのです。
まとめ
『金閣寺』に描かれているのは、ふつうに生きることができない人間の苦しみです。
主人公の「私」は社会で孤立し、自意識を肥大させた結果、
「金閣を焼かなければならない」
という狂気に突き動かされます。
生きる希望や目的を見失った社会のなかで、個人をむしばんでいく心の闇。
三島由紀夫は言葉のちからで、その心の闇を鮮やかに照らし出しています。
興味のある人はぜひ『金閣寺』を手に取ってみてください。
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