当ブログにはプロモーションが含まれています

人を信頼することの大切さが分かる太宰治『走れメロス』の名言集

 

こんにちは、『文人』です。


あなたは人を疑ったことがありますか?

人から嘘をつかれて、傷ついたことは?


人を信じられないということは、とても不安で、孤独です。


太宰治の短編小説『走れメロス』は、人を疑うことの孤独、そして人を信頼することの大切さを痛快に描いた名作。


暴君の王様から処刑を言い渡された「メロス」。

身代わりとなった友人のため、正直な心を証明するため、「メロス」は処刑場へ走ります。


今回はそんな『走れメロス』の中の名言をわかりやすく紹介していきます。

最後まで読んでいただけると嬉しいです!

 

 

名言①
メロスは激怒した。

 

 メロスは激怒げきどした。必ず、かの邪智じゃち暴虐ぼうぎゃくの王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮らして来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。

太宰治走れメロス』より引用

 

小説の第一文目、『走れメロス』で最も有名な言葉です。


「メロス」は村の牧人。

政治とは関係なく暮らしてきました。

しかし、そんな「メロス」が、ある出来事をきっかけに「激怒」したのです。


市へ出かけた「メロス」は、人々の様子のおかしさに気づきます。

いつもと違って、異様に静かなのです。

人に尋ねると、こんな答えが返ってきました。


王様が人を殺している。

悪心があると疑い、家族や臣下までも殺す。

王様は人を信じられないのです、と。


「邪悪」に「人一倍敏感」な「メロス」は、それを聞いて「激怒」したのです。


王様を恐れて息をひそめる人々。

しかし、「メロス」だけは「激怒」しました。


歪んだ人の心を救えるのは誰か。

それは、人のために怒れる人間です。

 

名言②
疑うのが、正当の心構えなのだと、わしに教えてくれたのは、おまえたちだ。

 

疑うのが、正当の心構えなのだと、わしに教えてくれたのは、おまえたちだ。人の心は、あてにならない。人間は、もともと私慾のかたまりさ。信じては、ならぬ」

太宰治走れメロス』より引用

 

単純な「メロス」は、さっそく王城に乗り込みますが、捕縛されてしまいました。

しかも「メロス」が短刀を所持していたので、大騒ぎに。


「メロス」は王様の面前に連れて行かれます。

「人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳だ」

そう言って王様を非難する「メロス」。


すると、王「ディオニス」は、言います。

「疑うのが、正当の心構えなのだと、わしに教えてくれたのは、おまえたちだ」


王「ディオニス」は孤独だったのです。


裏切られた経験のある人は、はじめから相手を疑うようになります。

疑いは疑いを呼び、誰に対しても心を開けなくなる。


そういう孤独は、現代の私たちの生活にも通じています。

「ディオニス」は、ひょっとしたら、あなたの身近にも……

 

 

 

名言③
私は約束を守ります。

 

(前略)「私は約束を守ります。私を、三日間だけ許して下さい。妹が、私の帰りを待っているのだ。そんなに私を信じられないならば、よろしい、この市にセリヌンティウスという石工いしくがいます。私の無二の友人だ。あれを、人質としてここに置いて行こう。私が逃げてしまって、三日間の日暮れまで、ここに帰って来なかったら、あの友人を絞め殺して下さい。たのむ。そうして下さい」

太宰治走れメロス』より引用

 

反逆の罪により、処刑が決まった「メロス」。

そこで「メロス」は、三日間だけ待ってほしいと懇願します。


「メロス」には、結婚を間近に控えた妹がいるのです。

三日間のうちに、妹の結婚式を挙げて、必ず戻ってくる。

そう約束します。


さらに「メロス」は、「無二の友」を人質として差し出します。

市で石工をしている「セリヌンティウス」です。


「私が逃げてしまって、三日間の日暮れまで、ここに帰って来なかったら、あの友人を絞め殺して下さい」


勝手に人質にされてしまった「セリヌンティウス」。

しかし、王城に連れて来られた「セリヌンティウス」は、友の事情を理解すると、何も言わず「メロス」を抱きしめました。


人を信じられない暴君「ディオニス」に対し、約束を交わしたうえ、「無二の友」まで人質に差し出してしまった「メロス」。


単純で正直者の「メロス」は、「ディオニス」の心を疑いません。

人を疑わないという自らの正義と、愛する友の信頼に応えるため、「メロス」は走ります。

 

名言④
走らなければならぬ。

 

(前略)さて、メロスは、ぶるんと両腕を大きく振って、雨中、矢のごとく走り出た。
 私は、今宵こよい、殺される。殺されるために走るのだ。身代りの友を救うために走るのだ。王の奸佞かんねい邪智を打ち破るために走るのだ。走らなければならぬ。

太宰治走れメロス』より引用

 

約束をした後、「メロス」は夜を徹して村まで走りました。

10里(約39キロ)を走り、村に着いたのは翌朝。


疲れ切った「メロス」は、よろよろと、妹の結婚式の準備にかかります。

2日間のうちに、無事に結婚式を開くことができました。


宴もたけなわ、幸せに浸った新郎新婦を見届けると、「メロス」は明日に備えて早めに就寝します。


そしていよいよ3日目の早朝。

昨夜からの不吉な豪雨の中、「メロス」は「矢のごとく」出発します。


目指すは処刑場。

何も知らない妹とその夫、村の人々を残して、「メロス」は再び10里(約39キロ)の路を走ります。


処刑場にたどり着けば、自分は殺される。

しかしたどり着けなければ、自分を信頼してくれている友が身代わりに殺される。


「メロス」が正直な男であるためには、走らなければならないのです。

 

名言⑤
もう、どうでもいいという、勇者に不似合いな不貞腐れた根性が、心の隅に巣喰った。

 

(前略)愛する友は、おまえを信じたばかりに、やがて殺されなければならぬ。おまえは、稀代きたいの不信の人間、まさしく王の思うつぼだぞ、と自分をしかってみるのだが、全身えて、もはや芋虫ほどにも全身かなわぬ。路傍ろぼうの草原にごろりと寝ころがった。身体疲労すれば、精神も共にやられる。もう、どうでもいいという、勇者に不似合いな不貞腐ふてくされた根性が、心の隅に巣喰すくった。

太宰治走れメロス』より引用

 

「メロス」の前に、次々と障害が立ちふさがります。


昨夜からの豪雨の影響で、途中、川が氾濫。

峠道を行くと、そこには一隊の山賊。


「メロス」は持ち前の力で、すべての障害を強行突破しました。


しかし、とうとう体力に限界がきます。

午後の太陽がまともに照りつけ、めまいがする中で走り続けている時でした。

「メロス」は倒れ、動けなくなってしまいます。


「もう、どうでもいい」


「メロス」の心の隅に、邪悪の芽が出始めました。


「正義」も、「信実」も、「愛」も……

何もかも、どうでもいい。

デカダン(退廃的)な思考です。


心身が限界に達した時、人は揺らぎます。

どんな善人にも、邪悪の芽生える瞬間がある。

太宰治はその瞬間を抜け目なく描いています。

 

 

 

名言⑥
私は信頼されている。

 

 私は信頼されている。私は信頼されている。(中略)ああ、陽が沈む。ずんずん沈む。待ってくれ、ゼウスよ。私は生まれた時から正直な男であった。正直な男のままにして死なせて下さい。

太宰治走れメロス』より引用

 

勇者らしからぬデカダン(退廃的)な思考に陥った「メロス」。


と、その時、足元に救いを見出します。

足元を水が流れていたのです。


すぐ近くの岩の裂け目から、清水が湧き出しています。

「メロス」は吸い寄せられるように清水へ向かい、両手ですくって、喉を潤しました。


「メロス」の心に、わずかな希望が生まれました。


「私は信頼されている。私は信頼されている。」


愛する友の信頼に応えるため、「正直な男」として死ぬため、刻一刻と陽が沈みゆく中「メロス」は処刑場へ走ります。


走るという行為は、自分との絶え間ない闘い。

走ることで、命を燃やし、邪悪な心に打ち克つ。

走れメロス」には、そんな主人公の姿が、時に泥臭く、時に美しく描かれています。

 

名言⑦
私を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。

 

セリヌンティウス」メロスは眼に涙を浮かべて言った。「私を殴れ。ちから一ぱいにほおを殴れ。私は、途中で一度、悪い夢を見た。君がもし私を殴ってくれなかったら、私は君と抱擁ほうようする資格さえないのだ。殴れ」

太宰治走れメロス』より引用

 

日没の光、その最後のわずかな残光が消えようとした時。

「メロス」は、「疾風のごとく」処刑場へと駆け込みました。

間に合ったのです。


縄をほどかれた「セリヌンティウス」に対し、「メロス」は涙ながらに言いました。


「私を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。私は、途中で一度、悪い夢を見た。君がもし私を殴ってくれなかったら、私は君と抱擁する資格さえないのだ。殴れ」


セリヌンティウス」は、処刑場に響くほど力強く「メロス」を殴りました。

そして言います。

私を同じように殴れ、と。


実は、「セリヌンティウス」も「メロス」を疑った、生まれてはじめて疑ったというのです。


2人はお互いに頬を殴り合い、声を上げて泣きながら抱擁を交わしました。


邪悪の心が芽生え、悪心に染まりそうになった「メロス」と「セリヌンティウス」。

しかし、2人はお互いに心を打ち明け、許し合い、友愛を深めました。


頬を殴り合うことは、同じ痛みを分かち合うこと。

殴られれば、もちろん痛い。

けれど、殴った手も痛い。

焼けるような痛みです。


今ここに生きていること、心からの友を失わずに済んだこと。

命の有難味を実感させる、感動の場面です。

 

名言⑧
どうか、わたしも仲間に入れてはくれまいか。

 

「おまえらの望みはかなったぞ。おまえらは、わたしの心に勝ったのだ。信実とは、決して空虚な妄想もうそうではなかった。どうか、わたしも仲間に入れてはくれまいか。(後略)」

太宰治走れメロス』より引用

 

「メロス」と「セリヌンティウス」の熱い友愛。

それを見届けた王「ディオニス」は、改心します。

2人は、「ディオニス」の邪悪な心に勝ったのです。


「ディオニス」は少年のように顔を赤らめながら言います。

「どうか、わたしも仲間に入れてはくれまいか」


孤独だった王が、ひそかに求めていたもの。

それは、2人のような、心から信頼し合える友でした。


人を疑い、排除する。

それは人を信じたい、信頼されたい、という強い欲求の倒錯。

「ディオニス」は人を信じたいがために、どこまでも疑い、試したのです。


友のために走り切った「メロス」。

友を信頼して待ち続けた「セリヌンティウス」。


「ディオニス」が目にしたのは、疑う余地もないほどの、信頼の到達点だったのです。

 

 

 

おわりに

 

太宰治の短編小説『走れメロス』は、友のために命がけで走る「メロス」と、人を信じられない孤独な王「ディオニス」との物語を通して、信頼の大切さを描いた名作です。


また、一方で、人を信じることの不安正直であることの難しさ、なども描かれています。


愛する友の信頼を一身に背負って走る「メロス」の描写は、泥臭くも、この上なく美しい。


「メロス」のように正直さを捨てず、自分も、周りの人も、みんなを笑顔にできる人間でありたいですね。


興味を持った方は、ぜひ本を手に取ってみてください。

 

 

🔎おすすめの記事

honwohirakuseikatu.hatenablog.com

 

honwohirakuseikatu.hatenablog.com

 

honwohirakuseikatu.hatenablog.com

 

🔎こちらの記事もよく読まれています!

honwohirakuseikatu.hatenablog.com