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陰鬱だけど読みたくなってしまう太宰治『人間失格』の名言集

 

こんにちは、『文人』です。


「自分に自信が持てない」

「生きていくことが不安」

「人間が恐い」


生活のなかで、ふとそんなふうに感じてしまうことってありますよね。

私たちが人知れず抱えている、劣等感、不安、恐怖。

それらを真正面から描いたのが、太宰治の名作小説『人間失格』です。


読者にしばしばトラウマを植え付ける、陰鬱な小説として有名な『人間失格』。

一方で、あまりにも共感できるために、ページをめくる手が止まらなくなるという、強烈な魅力を持った作品です。


今回はそんな『人間失格』の中の名言をわかりやすく紹介していきます。

最後まで読んでいただけると嬉しいです!

 

 

 

 

名言①
恥の多い生涯を送って来ました。

 

 恥の多い生涯を送って来ました。
 自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。

太宰治人間失格』より引用

 

人間失格』は、ある男の手記、という体裁で書かれた小説です。


手記の冒頭には、こんな言葉がありました。

「恥の多い生涯を送って来ました。」


手記というより、まるで遺書のような書きぶり。

ある男は、自身の生涯を「恥」という言葉で総括しているのです。


「恥」とは、どういうことか?

それは、他人と比べて劣っていること、世間に対して顔向けできないことです。

失敗や罪悪を重ねてきたために、もう人間の世界に出ることができない。

そんな存在であると、ある男は告白しているのです。


「人間の生活というもの」が分からない。

つまり、人間の世界でうまく生きていくことができない。

そんなある男(以下、「自分」)の生涯が、ここから語られていきます。

 

名言②
そこで考え出したのは、道化でした。

 

 そこで考え出したのは、道化でした。
 それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。自分は、人間を極度に恐れていながら、それでいて、人間を、どうしても思い切れなかったらしいのです。そうして自分は、この道化の一線でわずかに人間につながる事が出来たのでした。おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、内心は必死の、それこそ千番に一番の兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、油汗流してのサーヴィスでした。

太宰治人間失格』より引用

 

東北の田舎の、大きな家に生まれた「自分」。

幼少時から、「自分」には不安や恐怖がありました。


いわゆる常識というものが理解できない。

周りの人間の価値観と、自分の価値観との食い違い。

「自分」は、周りの人間とは違うのではないか?

「自分」ひとりだけが変わり者であるかのような、不安と恐怖。


人間のことが分からず、ただ恐くて、周囲にうまく合わせることができない。

でも、人間の世界で生きていくしかない。


そこで「自分」が考えたのは、「道化」を演じることです。


とにかく皆を笑わせて、好かれるようになろう。

自分の身を守るために、常に周りの人間の顔色をうかがい、「道化」を装うことで場を切り抜ける。

そのような振る舞いを、「自分」は身につけていきます。


しかし、この「道化」によって、身を滅ぼしていくことになるのです。

 

 

 

名言③
自分は、世界が一瞬にして地獄の業火に包まれて燃え上るのを眼前に見るような心地がして、わあっ! と叫んで発狂しそうな気配を必死の力で抑えました。

 

「ワザ。ワザ。」
 自分は震撼しんかんしました。ワザと失敗したという事を、人もあろうに、竹一に見破られるとは全く思いも掛けない事でした。自分は、世界が一瞬にして地獄の業火に包まれて燃え上るのを眼前に見るような心地がして、わあっ! と叫んで発狂しそうな気配を必死の力で抑えました。

太宰治人間失格』より引用

 

「道化」を演じることに慣れてきた「自分」。


剽軽なやつ、お茶目な子。

周りの大人からそんなふうに可愛がられます。


そして学校では、すっかり人気者になりました。

成績も良くて、面白い。

尊敬さえ得ています。


そんなある日、衝撃的な事件が起こります。

「竹一」というクラスメイトに、「道化」を見破られたのです。


授業中のことでした。

鉄棒の練習で、「自分」はわざと変な失敗をして、笑いを起こします。

計画的な失敗です。


ところが、その様子を見ていた「竹一」が、「自分」の背中をつつき、低い声で言いました。

「ワザ。ワザ。」


「道化」を演じることでしか、人間とつながれない「自分」。

しかし、その「道化」が、破綻してしまったのです。

「自分」は叫び出したいほどの恐怖に襲われました。


人はさまざまな仮面をつけて、社会生活を営んでいます。

その仮面が壊れることは、ある意味、社会的な死です。

 

名言④
その夜、自分たちは、鎌倉の海に飛び込みました。

 

 その夜、自分たちは、鎌倉の海に飛び込みました。女は、この帯はお店のお友達から借りている帯やから、と言って、帯をほどき、畳んで岩の上に置き、自分もマントを脱ぎ、同じ所に置いて、一緒に入水じゅすいしました。
 女のひとは、死にました。そうして、自分だけ助かりました。

太宰治人間失格』より引用

 

東京に出てきた「自分」。

悪友に連れられて東京で遊ぶうち、色々なことを覚えます。


酒、煙草、女……

特に、酒と女には、どっぷり浸かってしまいました。


「道化」と酒は、相性がいい。

酒は、人間に対する不安や恐怖から解放させてくれます。


また女は、「道化」に優しい。

女は、「自分」を甘やかしてくれます。


「自分」は偶然入ったカフェで、ある女給と出会います。

女給の名前は、「ツネ子」。

広島の出身で、既婚者で、「自分」より2歳上でした。


「自分」は「ツネ子」の貧しい部屋で、夜を過ごします。

「ツネ子」は身の上を語りました。

夫が刑務所にいる。

夫に差し入れをするため、刑務所に通っているが、もうやめる、と。


「ツネ子」は、生活に疲れ切っていたのです。

そして、「自分」もまた、生活に行き詰まりを感じていました。


学業を放棄し、酒と女に溺れ、家族との関係もこじれている。

何より、金がない。

金がなく、生活する能力がなく、生きていく自信がない。


そうして、ある夜。

「自分」は「ツネ子」と一緒に、鎌倉の海に飛び込んだのです。

 

 

 

名言⑤
自分は、皆にあいそがいいかわりに、「友達」というものを、いちども実感した事が無く……

 

(前略)自分は、皆にあいそがいいかわりに、「友達」というものを、いちども実感した事が無く、堀木のような遊び友達は別として、いっさいの附き合いは、ただ苦痛を覚えるばかりで、その苦痛をもみほぐそうとして懸命にお道化を演じて、かえって、へとへとになり、わずかに知合っているひとの顔を、それに似た顔をさえ、往来などで見掛けても、ぎょっとして、一瞬、めまいするほどの不快な戦慄せんりつに襲われる有様で、人に好かれる事は知っていても、人を愛する能力にいては欠けているところがあるようでした。(もっとも、自分は、世の中の人間にだって、果して、「愛」の能力があるのかどうか、たいへん疑問に思っています)

太宰治人間失格』より引用

 

女と一緒に入水した「自分」。

ところが、「自分」だけが助かってしまいました。


女の死を悲しみ、罪悪感に苦しみ……

生活の当てもなく、死ぬ気力もなく……

途方に暮れた「自分」。


生活能力のない「自分」は、誰かを頼るしかないのです。

しかし、その誰かとは……


「道化」である「自分」は、誰にでも愛想よく振る舞い、へとへとに疲れます。

そんな「自分」にとって、人間関係は苦痛そのもの。

気がつけば、誰ひとり、本当の友人はいなかったのです。


「自分」の欠点。

それは、人を愛せないこと。


人を愛せない者は、「愛」を疑います。


ゆえに、「自分」は手記にこう綴るのです。

「自分は、世の中の人間にだって、果して、「愛」の能力があるのかどうか、たいへん疑問に思っています」


金もなく、住む場所もない。

途方に暮れた「自分」は、悪友の「堀木」の家を訪ねます。


しかし、「堀木」の態度は、今までにないほど冷淡でした。

 

名言⑥
「世間というのは、君じゃないか」

 

「しかし、お前の、女道楽もこのへんでよすんだね。これ以上は、世間が、ゆるさないからな」
 世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たのですが、しかし、堀木にそう言われて、ふと、
「世間というのは、君じゃないか」
 という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。

太宰治人間失格』より引用

 

行き場のない「自分」を救ったのは、女でした。

その女「シヅ子」は、雑誌社に勤める記者。

「自分」は「シヅ子」の世話になり、同棲生活を送ることになります。


「シヅ子」は28歳。

5歳の娘と、アパートに住んでいます。

夫とは死別していました。


絵の勉強をしたことがある「自分」。

戯れに描いた漫画をきっかけに、「シヅ子」の援助で、子供向けのある雑誌に漫画を連載させてもらえるようになりました。


「堀木」が時々アパートを訪ねてきます。

「自分」が生活に困っていた時、冷淡な一面をみせ、ちっとも助けてくれなかった悪友です。

「自分」のところに来ては、説教めいたことを口にする「堀木」。


今の「自分」は、人妻に養われている身。

そんな「自分」への当てこすりか、「堀木」がこう説教します。


「お前の、女道楽もこのへんでよすんだね。これ以上は、世間が、ゆるさないからな」


世間とは何か?

一緒に酔っぱらったり、女遊びをしたり……

同類といってもよい悪友の「堀木」の口から、世間という言葉が出た時、「自分」は悟ります。


「世間というのは、君じゃないか」


しかし、「道化」である「自分」は、その言葉を飲み込んで笑うことしかできませんでした。


人は弱者を非難する時、「世間」を味方につけます。


世間が許さない。

周りが迷惑する。

みんなに嫌われるぞ。


こんなふうに「世間」を味方にすれば、善人の顔で、堂々と非難できるのです。

言った本人は責任を取らずに済むのです。


そうして「世間」の仮面をかぶった人々が、弱者を追い込んでいきます。

 

名言⑦
そのとき自分を襲った感情は、怒りでも無く、嫌悪でも無く、また、悲しみでも無く、もの凄まじい恐怖でした

 

(前略)自分は、ひとり逃げるようにまた屋上に駈け上り、寝ころび、雨を含んだ夏の夜空を仰ぎ、そのとき自分を襲った感情は、怒りでも無く、嫌悪でも無く、また、悲しみでも無く、もの凄まじい恐怖でした。それも、墓地の幽霊などに対する恐怖ではなく、神社の杉木立で白衣の御神体った時に感ずるかも知れないような、四の五の言わさぬ古代の荒々しい恐怖感でした。自分の若白髪は、その夜からはじまり、いよいよ、すべてに自信を失い、いよいよ、ひとを底知れず疑い、この世の営みに対する一さいの期待、よろこび、共鳴などから永遠にはなれるようになりました。実に、それは自分の生涯にいて、決定的な事件でした。

太宰治人間失格』より引用

 

「シヅ子」と、幼い娘の「シゲ子」。

この母子の生活に寄生している「自分」。


酒量が増え、金にも困り、以前よりさらに堕落していきます。

「自分」は「シヅ子」の衣類を質屋へ持ち出し、酒代にするようになります。


このまま生活を共にしていたら、この母子を不幸にしてしまう。


そう感じた「自分」は、「シヅ子」のアパートを出ました。


バーのマダムの世話になりながら暮らしていたある日。


小さな煙草屋の娘、「ヨシ子」と出会います。

「ヨシ子」は17,8歳の生娘。

人を疑うことを知らない、純粋で、明るい娘です。


人を信頼できず、不安と恐怖におびえながら「道化」を演じてきた「自分」とは、真逆のタイプの娘でした。


「自分」はそんな「ヨシ子」に惹かれ、結婚を決めます。


そして、「決定的な事件」が起こりました。


結婚生活を送っていたある夜、「自分」は、「ヨシ子」の不倫現場を目撃してしまったのです。

一方的に、男に抱かれている「ヨシ子」の動物的な姿。

男を疑わず、家に招き入れてしまったばかりに起こった悲劇。


「自分」の眼前で、妻「ヨシ子」が汚されています。


「そのとき自分を襲った感情は、怒りでも無く、嫌悪でも無く、また、悲しみでも無く、もの凄まじい恐怖でした」


幼い頃から感じていた、人間に対する恐怖。

それがこの時、爆発したのです。


事件をきっかけに、「自分」は、妻「ヨシ子」をさえ疑うようになります。

人間に対して、完全に背を向けたのです。



怒り、嫌悪、悲しみ。

それらは人間らしい感情です。


でも、恐怖は違います。

恐怖は、つながりや交わりさえも拒絶します。

 

名言⑧
死にたい、いっそ、死にたい、もう取返しがつかないんだ、どんな事をしても、何をしても、駄目になるだけなんだ、恥の上塗りをするだけなんだ

 

 死にたい、いっそ、死にたい、もう取返しがつかないんだ、どんな事をしても、何をしても、駄目になるだけなんだ、恥の上塗りをするだけなんだ、自転車で青葉の滝など、自分には望むべくも無いんだ、ただけがらわしい罪にあさましい罪が重なり、苦悩が増大し強烈になるだけなんだ、死にたい、死ななければならぬ、生きているのが罪の種なのだ、などと思いつめても、やっぱり、アパートと薬屋の間を半狂乱の姿で往復しているばかりなのでした。

太宰治人間失格』より引用

 

アルコール依存から抜け出せなくなった「自分」。

酒に酔わないと、不安でたまらないのです。


酒浸りの生活で体を壊し、薬屋に立ち寄ります。

そこで「自分」は、またしても女と出会います。

薬屋の奥さんです。


奥さんは未亡人でした。

左足を悪くしており、危なっかしく松葉杖をついています。

奥さんもまた、孤独で、不幸な女だったのです。


「自分」は、奥さんから薬をもらいました。

どうしても酒が我慢できない時に、服用するように、と。


「自分」はその薬を注射しました。

しかし、使用するにつれて頻度が増え、もうその薬がないと生活していけないのでした。


「自分」は薬を得るため、さらに「恥」を重ねます。


春画のコピーを売って、不浄な金を稼ぎ。

薬屋の奥さんと不倫の醜態を演じ。


薬の量が増え、金が払えなくなりました。

「自分」が頼み込むと、奥さんは泣きながらツケで薬を出してくれます。


「自分」が生きているということ。

それは、「恥の上塗り」。


「道化」が、不幸な女と結びつく。

人間を恐れ、酒に逃げ、薬に逃げる。

金がなくなると、またしても不幸な女と結びつく。

その汚らわしさ、浅ましさ。


恥には恥が重なり、不幸には不幸が重なり、罪には罪が重なる。

「自分」はこの有様を、「地獄」と形容します。

ひとたび堕落したら、みずからの力では脱け出せない。

本当の地獄は、この世にこそ存在するのです。

 

名言⑨
人間、失格。

 

 人間、失格。
 もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。

太宰治人間失格』より引用

 

もう薬がないと不安で仕方がない。

中毒になった「自分」のもとに、世話人がやってきました。


悪友の「堀木」も、世話人も、優しい言葉をかけてくれます。

「自分」は車に乗せられて、病院へ行きました。


病院の先生も、奇妙なほど優しい。

「自分」は病棟に入れられて……「ガチャン」。

外から鍵をかけられました。

精神病院です。


「自分」は人間たちから「狂人」とみなされたのです。

そして人間社会から隔離されました。


「自分」は手記にこう綴っています。

「人間、失格。」


もはや人間社会で生活していくことは出来ない。

そう悟った「自分」は、みずから「人間失格」という判定を下したのです。


人間をやめて、「廃人」となった「自分」。

幸福も、不幸も、感じなくなりました。

一日一日は、ただ過ぎていくだけ。


人間社会を捨てた「自分」にとって、感情も、生活も、無意味なのです。

 

名言⑩
「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」

 

「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」

太宰治人間失格』より引用

 

その狂人の男、「大庭葉蔵」の手記を読んだ「私」。


「私」に手記を貸してくれたのは、マダムでした。

手記にも登場した、バーのマダム。

その手記は、10年ほど前、マダムのところに送られてきたものです。


作家の「私」は、手記を興味深く読みました。

「私」は考えます。

手記を眠らせておくよりは、出版社に頼んで発表したほうが「有意義」であると。


マダムは「大庭葉蔵」という人間について、「私」にこう打ち明けました。

「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」


みずから「人間失格」と絶望して、人間社会を捨てた「大庭葉蔵」。

しかし……

人間は、彼の存在を忘れてはいませんでした。


人間失格』の末尾を飾る、この名言。

人情の温もりに満ちた、救いの言葉です。


その一方で。

とうとう人間を信じることができなかった「道化」の彼に対する、皮肉の言葉でもあります。

 

 

 

おわりに

 

太宰治の『人間失格』は、陰鬱な世界が描かれていますが、つい手を伸ばしたくなってしまう名作です。


主人公の生涯は、太宰治の実体験が反映されています。

実生活で酒におぼれ、薬物におぼれ、人間関係に苦しみ、苦悩の人生を送ってきた太宰治の言葉。

その言葉の中には、人間の真実が含まれています。


私たちが見て見ぬふりをしている、人間社会の嫌な面。

人間の弱さ、みにくさ、みじめさ。

そういうものを、真正面から告白しています。


人はなぜ、『人間失格』を読むのか?

それは、優れた文学作品だからです。

どんなに陰鬱でも、私たちは文学を通して人間とつながり、人として成長することができます。


読者の心を強烈につかむ、『人間失格』。

興味を持った人は、ぜひ本を手に取ってみてください。

 

 

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