陰影が生む建築の美――『陰翳礼讃』(谷崎潤一郎)解説①
※『陰翳礼讃』(谷崎潤一郎)の内容紹介
こんにちは、『文人』です。
文豪・谷崎潤一郎の随筆『陰翳礼讃』は、昭和8年(1933年)の作品。
「陰影」というものをテーマに、伝統的な日本文化の美、日本人の独特な美意識について説かれています。
現代でも読み継がれ、建築家、アーティストなどに影響を与えている名著です。
そんな『陰翳礼讃』の内容と魅力を、
①「建築の美」
②「食事の美」
③「厠の美」
④「女性の美」
全部で4つのテーマ別に解説します。
今回のテーマは①「建築の美」。
伝統的な日本家屋の美が、「陰影」からどのように生まれるのか?
『陰翳礼讃』の内容に沿ってわかりやすく解説していきます。
日本家屋の陰影
門があり、草木の生い茂った庭があり、二階建てで、瓦屋根と広い庇がついている。昔の日本家屋といえば、大体そのような建物をイメージするでしょう。実際の日本家屋を見れば、すぐにその薄暗さに気がつくと思います。
日本家屋の特徴は、家全体を覆うほどの大きな屋根と、広い庇。まるで傘のような形をしているので、家の内部に陰影が生じます。これは、直射日光をさえぎり、雨をはけ、屋内を涼しく快適にする必要からやむなく生まれたもの。
陰影のせいで家の中が暗くなってしまうので、生活するには不便です。しかし、ただ不便なだけではありませんでした。
谷崎は次のように言います――
(中略)美と云うものは常に生活の実際から発達するもので、暗い部屋に住むことを余儀なくされたわれわれの先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように陰翳を利用するに至った。
昔の日本人は、陰影を排除しようとはしませんでした。むしろ陰影を利用することで、豊かな美の世界を開いたのです。
和室にひそむ美
建築において、「陰影の美」を最もよく表しているのが、和室の空間です。
和室の特徴は、部屋と廊下を仕切る「障子」と、
しかし、ただでさえ暗い部屋に「障子」を立てたり、「床の間」という光の当たりにくい場所を作ったりするのは、非合理的で矛盾しているように見えます。なぜわざわざ陰影を濃くするのでしょうか?
谷崎は、「障子」と「床の間」の魅力をこう語ります――
まことにあの障子の裏に照り映えている逆光線の明りは、何と云う寒々とした、わびしい色をしていることか。庇をくぐり、廊下を通って、ようようそこまで辿り着いた庭の陽光は、もはや物を照らし出す力もなくなり、血の気も失せてしまったかのように、ただ障子の紙の色を白々と際立たせているに過ぎない。(中略)私はその夢のような明るさをいぶかりながら眼をしばだたく。何か眼の前にもやもやとかげろうものがあって、視力を鈍らせているように感ずる。それはそのほのじろい紙の反射が、床の間の濃い闇を追い払うには力が足らず、却って闇に弾ね返されながら、明暗の区別のつかぬ昏迷の世界を現じつつあるからである。諸君はそう云う座敷へ這入った時に、その部屋にただようている光線が普通の光線とは違うような、それが特に有難味のある重々しいもののような気持がしたことはないであろうか。
引用したのは、『陰翳礼讃』のなかでも特に凄味のある名文の一部です。
自然光をろ過したような「障子」の明かり。それは部屋を隈なく照らし出すにはあまりに弱々しい光です。その「障子」のほの白い明るさと、「床の間」の不気味な闇とのコントラスト。そこに明暗の妖しい魅力と、光のありがたみと、人知を超えた何かを感じ取る――日本人の美意識は、このようにして陰影の世界へ向かうのです。
日本の伝統的な建築は、「障子」と「床の間」によって屋内に一層の陰影を作り出す。その陰影の力が、外からのわずかな自然光に一種の深みを与える。
「陰影の美」によって、光の微妙を味わうこと。建築における陰影とは、いわば自然光に充足するための生活の知恵なのです。
まとめ――不便から見えてくる「美」の可能性
日本家屋の陰影は、直射日光や風雨をしのぐ必要からやむなく生じてしまった生活上の不便でした。しかし昔の日本人は、その不便な陰影を上手に取り込み、生活のなかに「陰影の美」を発見しました。
一方で、現代はどうでしょうか。利便性を追求するあまり、「不便は排除すべき」という考えに流れやすい。電灯を増やし、まぶしいほどの明るさで闇を追い払う。合理的のように見えますが、生活の不便を完全になくすことは不可能。利便性を求めれば求めるほど、さまざまな不便が出てくるという矛盾も生まれています。
谷崎の説いた「陰影礼賛」は、そんな利便性の矛盾から抜け出すヒントになりそうです。
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