陰影が生む食事の美――『陰翳礼讃』(谷崎潤一郎)解説②
※『陰翳礼讃』(谷崎潤一郎)の内容紹介
こんにちは、『文人』です。
文豪・谷崎潤一郎の随筆『陰翳礼讃』は、昭和8年(1933年)の作品。
「陰影」というものをテーマに、伝統的な日本文化の美、日本人の独特な美意識について説かれています。
現代でも読み継がれ、建築家、アーティストなどに影響を与えている名著です。
そんな『陰翳礼讃』の内容と魅力を、
①「建築の美」
②「食事の美」
③「厠の美」
④「女性の美」
全部で4つのテーマ別に解説します。
今回のテーマは②「食事の美」。
日本人の食事に対する美意識が、どんなふうに「陰影」と関係しているのか?
『陰翳礼讃』の内容に沿ってわかりやすく解説していきます。
漆器のお椀にひそむ陰影の美
大きな屋根と広い庇で日光をさえぎりながら生活してきた日本人は、陰影のなかにさまざまな美を発見しました。(前回の①「建築の美」より)
日本人の陰影に対する感性と美意識。それは食事の仕方にも表れています。
食事における「陰影の美」を象徴するのが、暗い色で塗られた「漆器のお椀」です。谷崎は『陰翳礼讃』のなかで、この「漆器のお椀」に宿る暗い美しさ――特に薄暗い部屋で、ろうそくの古風な灯りにぼんやり照らされたときの、漆器の美しさに注目します。
漆器の椀のいいことは、まずその蓋を取って、口に持って行くまでの間、暗い奥深い底の方に、容器の色と殆ど違わない液体が音もなく澱んでいるのを眺めた瞬間の気持である。人は、その椀の中の闇に何があるかを見分けることは出来ないが、汁がゆるやかに動揺するのを手の上に感じ、椀の縁がほんのり汗を掻いているので、そこから湯気が立ち昇りつつあることを知り、その湯気が運ぶ匂に依って口に啣む前にぼんやり味わいを予覚する。
引用した箇所では、薄暗いろうそくの灯りのなか、「漆器のお椀」によそわれた汁物を味わったときの感動が記されています。汁物はお椀の暗い色とほとんど一緒になっています。それは何かよく分からない闇。まず汁の揺らぎを手のひらに感じ、立ち昇る湯気の温もりを感じ、その湯気の香りによって口に含んだときの味わいを想像する。
料理を口に入れる前に、触覚や嗅覚などのさまざまな感覚で味わうこと。食べることのありがたみを思うこと。そのような食事の微妙な味わいは、部屋の陰影と、漆器の陰影によって深まります。
「陰影の美」により、食事という日常行為が、まるで神秘的な儀式のように特別なものになる。というより、私たちの食事とは本来、儀式そのものではなかったか。「陰影の美」は、私たちにそのことを思い起こさせるのです。
陰影が引き立たせる和食の魅力
部屋の隅々まで明るく照らし、白いピカピカの陶器に料理を美しく盛りつける西洋流の食事。現代の私たちが当たり前のようにしている食事は、この西洋流からきています。
しかし、そのような食事は陰影の働きを減殺してしまう。もちろん西洋流の食事には別の良さがありますが、和食の本来の魅力は、陰影のなかでこそ引き立つ。
谷崎はおよそ次のように言います――日本人の陰影の暮らしとともに発展してきた和食は、白くまぶしい明かりの下よりも、伝統的な薄暗さの中で向き合ったほうが、色味も美しく、食欲もかきたてられるのであると。
第一飯にしてからが、ぴかぴか光る黒塗りの飯櫃に入れられて、暗い所に置かれている方が、見ても美しく、食欲をも刺戟する。あの、炊きたての真っ白な飯が、ぱっと蓋を取った下から煖かそうな湯気を吐きながら黒い器に盛り上って、一と粒一と粒真珠のようにかがやいているのを見る時、日本人なら誰しも米の飯の有難さを感じるであろう。
薄暗さのなか、黒塗りの容器に入れられたご飯を、黒い漆器のお椀によそう。白いつやつやした米の一粒一粒は、陰影の中でこそ美しく見えるもの。そういうご飯は食欲をかきたてます。そのとき私たちは、口に頬張る前に、まずその美味しそうな見た目を味わっています。
食事における「陰影の美」とは何か?
それはただ食事を美しく魅力的にするだけではありません。まず何より、料理を引き立たせ、私たちの食欲をかきたてるのです。
まとめ――「食事」の広がりと深み
陰影を基調とした伝統的な食事文化と、現代の食事文化。その決定的な違いはどこにあるか?
それは「深み」ではないでしょうか。現代の食事文化のひとつの特徴に、見た目のユニークな美しさ、いわゆる「映え」があります。見た目の美しさを味わうという点は昔と共通しているようです。ところが、写真を取るだけで満足してしまい、料理を残すことがしばしば問題になる。つまり、「食欲をかきたてられるか」という点では疑問があります。
「陰影の美」を活かした食事は、私たちの想像力を刺激し、食欲をかきたてる。明るい場所で食べる時とはまったく違った味わいがあり、さらには食事と向き合う濃密な時間をも生みます。
「食べる」という行為には、本来、広がりと深みがある。感覚をフルに活用して味わうことの充実感、食べ物のありがたみ……谷崎の説いた「陰影礼賛」は、現代の食生活を見つめ直すきっかけになるかもしれません。
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