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【書評】過去の苦しみを救いに変える、言葉の力――夏目漱石『道草』

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夏目漱石『道草』のレビュー

 

 

誰にだって思い出したくない過去がある。記憶から拭い去ることができれば楽なのだが、そうもいかない。そのような辛い過去はトラウマとして刻まれていて、何かをきっかけにうずき出す。夏目漱石の『道草』の主人公・「健三」も、ある出来事が引き金となり、辛い過去と向き合うことになる。


「健三」は散歩の途中でひとりの老人と遭遇する。思わず視線をそらす。何事もなかったように通り過ぎようとするが、相手のほうではとっくに気づいていて、健三の顔をじっと見据えてくる。その老人は幼少時代の健三を育てた養父・「島田」だった。会いたくない人物と偶然再会してしまったことから起こる嫌な予感。

果たして予感は的中。後日、「島田」は近づいてくる。過去に金銭トラブルがあり、「健三」とは絶縁状態だった「島田」。ところが再会をきっかけに、なし崩しに交際が始まってしまう。

この養父との関わりが引き金となり、「健三」は不幸な幼少時代へ立ち返る。後に生まれたというだけで実父から見捨てられ、養子に出されたこと。「島田」に引き取られ大事に育てられたが、その愛情の裏には露骨な下心と金銭欲があったこと。実父と養父から物同然に扱われていたこと。それらの出来事は、「健三」のトラウマとして心に深く刻まれている。

長い年月を経て、「健三」は変わった。今や立派な学者として教壇に立ち、親類のなかで一番の身分になっている。しかしどんなに境遇が変わっても、過去は変わらず「健三」の背後に暗い影を落としていて、時により彼の前に横たわる。そうして過去に苦しみながら、独りで耐え忍んでいる。


こう書くと暗いようだけれど、『道草』は不思議な明るさのある小説だ。登場人物はみんな、欠点だらけのユーモラスな人間として描かれ、救いようがない。おまけに愚痴が多い。でもそれが妙に生き生きとしているので、読んでいて胸がすく感じがする。

小説の終盤、「健三」は言う――

「世の中に片付くなんてものは殆んどありゃしない。一遍起った事は何時までも続くのさ。ただ色々な形に変るからひとにも自分にも解らなくなるだけの事さ」

悲観的だけれど、ちょっとおかしみもある。そんな生気のある言葉に救われる。

 

 

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