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【書評】文豪による老人小説の先駆け―谷崎潤一郎『瘋癲老人日記』―

 

 

『瘋癲老人日記』(谷崎潤一郎/著 中公文庫)のレビュー

 

老人は、妻と、息子一家との2世帯暮らし。住み込みの看護師もいる。高血圧で、興奮するとすぐに血圧が上がる。肉体的な苦痛、特に神経痛のような痛みやしびれに悩まされている。それに足も悪い。息子の嫁が、大のお気に入り。そんな老人が、時々独りで書斎にこもり、秘密の日記を書いている。


『瘋癲老人日記』は、谷崎潤一郎の晩年の小説。昭和36年11月から昭和37年5月まで、雑誌『中央公論』にて連載された。主人公の老人は77歳。そしてこの小説を書き上げた時、谷崎もまた77歳だったという。本作は主に老人の日記をたどる形で進行していくが、その日記の内容が凄い。


日記には、息子の嫁・「颯子」のことばかり書かれている。「颯子」は、踊り子あがりの美人。「婆サン」(妻)は「颯子」を息子の嫁に迎えることに反対だったらしいが、老人は彼女のことを痛く気に入っているのである。そうして隙あらば「颯子」に接近しようとする。その駆け引きが時にさりげなく、時におぞましいほど性的に活写される。


この老人、性欲が旺盛なのである。何でも、痛いほうがより性的快感を得られるという。だから美人かつ親切な女性よりも、飛びきり美人だけれど残虐的で自分を痛い目にあわせてくれる女性のほうが好きだという。そして「颯子」にそういう理想的な要素を認めて、彼女に異常なほど執着しているのである。老人は肉体の面ではすでに不能となっているが、さまざまな趣向で「颯子」に近づき、変態的に性欲を満たそうとする。


本作では、老いによって精神に異常をきたした老人が、息子の嫁を相手にいびつな性欲を発揮するさまが生き生きと描写されている。老人の異常さが小説的に誇張されており、老いてますます性欲に狂うさまが、皮肉たっぷりに描かれている。


そんな本作を読み終えて、ふと気になった。老人の日常生活のありさま、老いた人間の姿というものが、精細に描き出されている点に。


老人は日々血圧を測り、睡眠薬や鎮痛剤を服用し、看護師のチェックを受ける。歩くようにしなければいずれ歩けなくなると脅されて散歩に出る。調子が良い日は日記を書くが、そうでない日は寝て過ごす(だから日記の日付はところどころ開いている)。死後のことを考え、自分の墓をどうするかと思案する。

 

「今日おれハ死ヌンジャナイカナ」ト、日ニ二三度ハ考エル。

『瘋癲老人日記』(谷崎潤一郎/著 中公文庫)P23より引用

 

と、老人はみずからの心境を日記に書いている。


死ぬことの不安、生きる悦び、変態的にこじらせた性欲、肉体の苦痛……さまざまなものを抱えつつ、本作の老人はままならない余生を過ごしている。そしてその姿は現代の老人像にも重なるように思われる。


人生100年時代といわれるようになった現代日本では、およそ誰もが老いることを見据えて、老後の生き方を重視している。そんな中で老人小説も増えてきている。文豪谷崎がみずからの老いの体験をベースにほとんどありのままの老人の姿を描いた本作は、現代の老人小説の先駆けといえるだろう。

 

 

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