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妖艶な魅力に引き込まれる傑作小説―谷崎潤一郎『春琴抄・吉野葛』―

 

 

春琴抄吉野葛』(谷崎潤一郎/著 中公文庫)のレビュー

 

谷崎潤一郎近代文学を代表する作家のひとり。絢爛豪華たる作品群を世に遺し、後の作家たちに多大な影響を与えたことから、文学の巨頭といってよい存在である。にもかかわらず、一般の人々の口に上るのは漱石や太宰で、谷崎の名を聞くことは少ない。そういえば国語の教科書にも谷崎の小説は載っていなかったと思う。なぜか?


谷崎作品は美しく、妖しく、そして危険な香りがする。危険な香りといったが、あえて露骨にいえば、いかがわしい。谷崎作品の中でも特にいかがわしく、それでいて芸術的にも優れた、近代文学屈指の傑作。それが本書所収の中編小説『春琴抄』である。


春琴抄は、美貌と才気を兼ね備えた音曲の女師匠・「春琴」と、幼馴染の従者・「佐助」、ふたりの生涯を伝記風に描いた作品。「春琴」は幼い頃より盲目となり、身の回りのことを「佐助」に頼み、主従の関係を結ぶ。自尊心が強く、気難しく、意を察しないとすぐに機嫌を悪くする「春琴」に振り回される「佐助」。冷遇され、打たれ、罵倒され、泣かされる。ところがその実、「佐助」は「春琴」から受けるそのような仕打ちに満足しているのだ。いわゆるマゾヒズムである。「佐助」は「春琴」を崇拝するあまり、同居生活を送り事実上の夫婦関係となっても、従者の立場を越えず、へりくだった応対をする。食事も、風呂も、排泄も。何から何まで世話をしながら、盲目の女主人に仕えることを至上の悦びとしている。


「佐助」の異常なまでの忠誠心は、それだけに留まらない。「春琴」が顔に火傷を負い、その美貌が崩れるという事件が起きた時、「佐助」はみずからの眼を針で突き、盲目となる。痛ましい場面でありながら、異様な幸福感に包まれている。なぜなら、「春琴」と「佐助」は、ふたりして盲目になったことで、盲人特有の研ぎ澄まされた世界を分かち合い、ふたりだけの官能世界を存分に味わうことになるからである。


もう一編の秀作吉野葛は、和の情緒と懐かしさを感じさせる作品。奈良県の吉野を舞台に、吉野に伝わる歴史や文化を織り交ぜながら、亡き母の生まれ故郷を尋ねる男を描く。両親を早くに亡くし、両親をほとんど知らずに育った。子どもの頃から親に会えない寂しさを抱えて大人になった男が、わずかな手がかりをたどり、記憶の母を尋ねる。さながら運命の恋人を求めるように。顔も覚えていない亡き母へのあこがれが、恋愛感情と絡み合い、特別な女性像を生む。そんな『吉野葛』の物語は、母恋い、マザコン、といった一種のいかがわしい香りをただよわせながらも、全体として夢の美しさに包まれている。


盲人の奇妙な愛の世界。母恋いの夢。どちらの作品も、ページをめくるほど引き込まれていく妖艶な魅力と、底知れない面白さがある。巻末に収められた河野多恵子の解説も示唆に富んでいる。読み終えた後には、しばらく本棚に寝かせておいて、再読するのが愉しみになる1冊だ。

 

 

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