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【書評】心を失う世界を描いた予言的小説――村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』

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世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(村上春樹/著 新潮文庫)のレビュー

 

 

 

もし自分だったらどちらの世界を取るだろう。何が起こるかわからず、不安、喜び、怒り、悲しみといった感情があふれる世界か。それとも、毎日ほぼ同じことが繰り返され、時がゆるやかに流れていく安楽な世界か。どちらも捨てがたい。村上春樹はどちらの世界も美しく魅力的に描いている。だから本書を読むと、その両方に惹きつけられ、心が揺れるのだ。


本書では2つの物語が同時進行していく。高い外壁に閉ざされた世界で平穏な日々を送りながら、一角獣たちの頭骨に宿る夢を読むという〈夢読み〉の仕事を与えられた「僕」の物語〔世界の終り〕。東京を舞台に、情報を守る〈組織システム〉と情報をうばいブラック・マーケットに流すことで莫大な利益を得る〈工場ファクトリー〉、双方をめぐる情報戦争に巻き込まれた「私」の冒険物語〔ハードボイルド・ワンダーランド〕。この2つの物語が絡み合い、さまざまな謎を読者に投げかけてくる。そこにふつうの物語では味わえない緊張感がある。

特に〔世界の終り〕に注目しながら読んだ。住人それぞれが特殊な役割を持ち、安定した秩序の中で暮らしている世界。どこかロールプレイング・ゲームのようだが、「僕」も周りの住人も、生身の人間だ。しかしふつうの人間とは決定的に異なる点がある。「心」がないのだ。その世界に来てまだ間もない「僕」は、やがて住人たちに「心」がないことに気づく。「僕」はある女性に恋愛感情を抱くのだが、どれだけ気持ちを伝えようとしても、その相手には届かない。「僕」の想いは虚しく、どこにもたどり着けない。そして「僕」自身もまた、「心」を失いつつある。

〔世界の終り〕の住人たちはみんな優しい。エゴがないし、争いがない。誰も傷つかない。隣人と一緒に朝食をとり、チェスを楽しみ、ひとりでのんびり町を散歩し、同じ仕事をこなす日々。ある意味では幸福なユートピアだ。しかし、他者と「心」でつながることができないという意味では、かぎりなく不幸なディストピアでもある。

〔世界の終り〕の町は完全な世界だ。しかしその完全さは、見えない犠牲によって成り立っている。そこに目をつぶって幸福を享受するか。あるいは……。「僕」は選択を迫られる。

「いいかい、弱い不完全な方の立場からものを見るんだ。」

迷った時には本書のこの言葉を忘れないようにしたい。本書は読者を勇気づけ、生きることの本質に立ち返らせてくれる。