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うまくいかない時に読みたいヘミングウェイ『老人と海』の名言集

 

ヘミングウェイ老人と海』(高見浩/訳)の名言集

 

こんにちは、『文人』です。


老人と海』は、アメリカのノーベル賞作家ヘミングウェイの名作小説。

ヘミングウェイの晩年の傑作であり、最も読まれている代表作です。


物語の舞台は、キューバの漁村。

漁師である老人の命がけの漁、大物カジキやサメたちとの壮絶な闘いがリアルに描かれます。

老人の闘う姿を通して、懸命に生きる人間の力強さがひしひしと感じられる名作です。


今回は、そんな『老人と海』の中の名言をわかりやすく紹介していきます。

 

 

 

 

名言①
漁師は老いていた。

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 漁師は老いていた。一人で小舟を繰って、メキシコ湾流で漁をしていたが、すでに八十四日間、一匹もとれない日がつづいていた。最初の四十日は一人の少年がついていたのだが、一匹もとれない日が四十日もつづくと、あのじいさん、もうどうしようもないサラオだな、と少年の両親は言った。サラオとはスペイン語”不運のどん底を意味する。

老人と海』(ヘミングウェイ/著 高見浩/訳 新潮文庫)P7より引用

 

老人と海』の主人公・「サンチアゴ」は、老いた漁師です。

痩せて筋張った肉体、深いしわ、両頬には海の照り返しの陽光による茶色いシミ、そして両手には重い釣り綱を引き続けて出来た、古い傷跡。

しかし老人は枯れてもなお、生き生きした眼をしています。


「八十四日間」も不漁が続くという「不運のどん底」。

それでも諦めず、大物の魚に巡り合う時を待ち望んでいるのです。


「漁師は老いていた。」

この冒頭の言葉には、さまざまな意味が込められています。

老いた漁師の挑戦、苦難、葛藤、孤独……

読者は「老い」をどう感じるか?

老人と海』は、読者の感じ方しだいでさまざまな読み方ができる名作なのです。

 

名言②
老人の頭のなかで、海は一貫して”ラ・マール”だった。

 

 老人の頭のなかで、海は一貫して”ラ・マール”だった。スペイン語で海を女性扱いしてそう呼ぶのが、海を愛する者の慣わしだった。(中略)大きな恵みを与えてくれたり、出し惜しみしたりする存在ととらえていた。ときに海が荒れたり邪険に振舞ったりしても、それは海の本然ほんねんというものなのだ。海も月の影響を受けるんだろう、人間の女と同じように。老人はそう思っていた。

老人と海』(ヘミングウェイ/著 高見浩/訳 新潮文庫)P30,31より引用

 

「海」はスペイン語で「マール」。

スペイン語の名詞には性別があり、男性名詞には「el(エル)」、女性名詞には「la(ラ)」という定冠詞がつきます。

老人は「海」のことを「ラ・マール」と呼びます。

つまり、老人にとって「海」は「女性」なのです。


老人は女性を愛するように、海を愛しています。

海が荒れたり、海に意地悪をされたりしても、海から離れることはできません。

海とともに生き、海の恵みに生かされていることを、老人は悟っているのです。

 

 

 

名言③
「魚よ」老人は静かに言った。「こうなったら、おれはくたばるまで付き合うぞ」

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「魚よ」老人は静かに言った。「こうなったら、おれはくたばるまで付き合うぞ」
 やつのほうでもそのつもりだろうさ。老人は胸につぶやいて、明るくなるのを待った。夜明け前のこのひとときは、特に冷える。舟板に身を押しつけてあたたまった。我慢比べならやつには負けない。

 

老人と海』(ヘミングウェイ/著 高見浩/訳 新潮文庫)P55より引用

 

夜明け前、老人は八十五日目の漁に出ます。

小舟に乗り込み、湾を出て、沖合へ漕いで行きます。

大物を狙える9月の漁です。


正午頃、綱に引きが来ました。

深い海中の仕掛けに、一匹のカジキが掛かったのです。

ものすごい引き、大物です。


大物カジキは老人の綱を引っ張りながら、海流に逆らうように北西へ泳いでいきます。

陸地から遠く離れた沖合で、老人は独り、大物カジキと闘うことになるのです。


夜になり、寒さと体の痛みに耐えながら、老人は大物カジキとの我慢比べを続けます。

1本の綱でつながった老人と大物カジキ。

孤独な老人は、大物カジキに何度も話しかけます。

魚よ、くたばるまで付き合うぞ。

命がけの闘いの中、老人は大物カジキに対して特別な友情を抱くようになります。

 

名言④
「まさか」と声に出た。「そんなにでかいはずが」

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「まさか」と声に出た。「そんなにでかいはずが」
 だが、それほどでかかったのだ。その周回を終えるとき、魚は三十ヤードと離れていない海面に姿を現した。

老人と海』(ヘミングウェイ/著 高見浩/訳 新潮文庫)P95より引用

 

大物カジキが掛かってから、3日目。

老人はまともに眠ることもできず、綱を握る手はひどく擦り切れ、疲労と痛みに苦しみます。

しかし疲れていたのは、大物カジキのほうも一緒でした。


そしてついに、大物カジキが海面に姿を現します。

それは老人が見たこともないほど、巨大なカジキでした。

期待していた以上の大物だったのです。

 

名言⑤
おれはやつの心臓にさわったんだ。

 

手でさわって、やつを感じたい。やつはおれの宝物さ、と老人は思った。しかし、それだからさわりたいわけじゃない。おれはやつの心臓にさわったんだ。そう、二度目にもりを押し込んだときに。

老人と海』(ヘミングウェイ/著 高見浩/訳 新潮文庫)P101より引用

 

老人は力いっぱい綱を引き、大物カジキを小舟へ引き寄せます。

それから銛を持ち上げ、渾身の力を振り絞って大物カジキの横腹に突き下ろし、思いきり押し込みます。


大物カジキを仕留めた老人は、静かに噛みしめます。

「やつはおれの宝物さ」

「おれはやつの心臓にさわったんだ」


長い闘いを経て、老人は大物カジキに触れ、一心同体になったような感動を覚えるのです。

 

 

 

名言⑥
最初のサメが襲ってきたのは、それから一時間後のことだった。

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 舟と魚は何事もなく進み、老人は手を海水にひたして頭をすっきりさせておこうと努めた。空高く積雲が広がり、その上に巻雲も出ている。このぶんなら一晩中風がつづくな、と老人は思った。魚には絶えず目をやって、夢ではないことを確かめた。最初のサメが襲ってきたのは、それから一時間後のことだった。

老人と海』(ヘミングウェイ/著 高見浩/訳 新潮文庫)P105より引用

 

老人は大物カジキを小舟にくくりつけて、帰路に就きます。

まるで夢のような釣果。でも、これは現実。


一仕事終えて、疲労と体の痛みを抱えながら小舟を操っていた時でした。

大物カジキの血の匂いを嗅ぎつけて、荒々しいサメたちが襲ってきたのです。

ようやく釣り上げた大魚。

その肉を横取りしようとサメたちが襲撃してくるという、最悪の事態。

夢であってほしい。

しかし、これも現実でした。

 

名言⑦
「だが、人間ってやつ、負けるようにはできちゃいない」老人は言った。「叩きつぶされることはあっても、負けやせん」

 

 つくづく、いいことはつづかんもんだ、とあらためて思った。これでは、いっそ夢だったほうがよかった。こんな大魚を引っ掛けたりせず、新聞を敷いたベッドに独りで寝転んでいたほうがどんなに気楽だったか。
「だが、人間ってやつ、負けるようにはできちゃいない」老人は言った。「叩きつぶされることはあっても、負けやせん」

老人と海』(ヘミングウェイ/著 高見浩/訳 新潮文庫)P109より引用

 

大物カジキの肉に食らいついてきたサメ。

老人はそのサメを銛で撃退します。


ところが、ようやく釣り上げた「宝物」である大物カジキの肉の一部を、サメにかじり取られてしまいます。

老人にとっては、自身の肉を食いちぎられるに等しい苦痛でした。


幸運というのは続きません。

こんな思いをするくらいなら、大魚なんて釣らなければよかった。

老人はまたしても「不運のどん底」に落とされます。


しかし、老人は言います。

「人間ってやつ、負けるようにはできちゃいない」


この老人の魅力は、追い詰められた時の底力。

大物カジキとの闘いの後であるにもかかわらず、何度でも自分を鼓舞し、サメたちと死闘を繰り広げるのです。

 

 

 

名言⑧
「疲れたな、じいさん。体のしんから疲れちまった」

 

 老人はまた両手を海水にひたした。夕暮れ近くになっていて、目に入るのは一面の海と空ばかり。上空では風が強くなっている。そろそろ陸地が見えてくるといいが。
「疲れたな、じいさん。体の芯から疲れちまった」

老人と海』(ヘミングウェイ/著 高見浩/訳 新潮文庫)P119より引用

 

最初のサメを撃退した後、今度は別の2匹のサメたちが襲ってきます。

大物カジキの血の匂いに興奮したサメたち。

むさぼるように食らいついてくるサメたちを、老人はナイフをくくりつけたオールで突き刺します。


老人は必死に闘い、2匹のサメたちを撃退。

銛を失い、ナイフの刃も折れてしまいました。


老人は自分に話しかけます。

「疲れたな、じいさん。体の芯から疲れちまった」

老人の体力はもう限界でした。


しかし、サメたちの襲撃はまだ続きます……

 

名言⑨
「闘う」老人は言った。「死ぬまで闘ってやる」

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「闘う」老人は言った。「死ぬまで闘ってやる」
 だが、いまは闇につつまれ、空の明るみも陸の灯も見えず、風だけが吹いて帆が舟を引っ張っている。自分がもう死んでいるような気がした。両手を合わせて、手のひらの感触をさぐる。手は死んでいない。ひらいたり閉じたりすると痛いから、まだ生きていると感じた。

老人と海』(ヘミングウェイ/著 高見浩/訳 新潮文庫)P122,123より引用

 

サメたちのしつこい襲撃。

そのたびに大物カジキの肉は食いちぎられていきます。

銛もナイフも失った老人は、最後に棍棒こんぼうを振るって闘います。


若い頃なら、棍棒でサメを打ちのめすことができたかもしれない。

でも老いた今では、もうそれほどの力がない。

どうにかサメたちを追い払えたものの、せっかく釣り上げた大物カジキは無残に食い散らかされてしまいました。


夜になりました。

もし夜中にまたサメたちが襲ってきたら、闘えるだろうか?

老人は覚悟します。

「死ぬまで闘ってやる」


体は限界、もはや闘う力などほとんど残っていない老人のこの言葉。


老人は決して負けようとしません。

それほど執着しなければならない闘いとは、いったい何なのか?

それは自分との闘いです。

老人は苦しい現実をあるがままに受け入れ、自分自身の宿命と闘っているのです。


つまり老人の闘いとは、〈生きる〉ということに他なりません。

老人は今この瞬間を懸命に生きているのです。

 

名言⑩
老人はライオンの夢を見ていた。

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 道の先の小屋では、老人がまた眠り込んでいた。うつ伏せになったままの老人を、少年がそばにすわって見守っていた。老人はライオンの夢を見ていた。

老人と海』(ヘミングウェイ/著 高見浩/訳 新潮文庫)P135より引用

 

老人が恐れていた通りのことが起こります。

夜中にサメたちが群れで襲撃してきて、大物カジキはむさぼられてしまいます。

暗闇の中、老人は必死に棍棒を振るいますが、もはや最後のあがきでした。

大物カジキの肉はほとんど残らず、もはや残骸に。


老人は軽くなった小舟を操って港へ帰り、ベッドに倒れて眠り込みました。


老人は「ライオンの夢」を見ます。

水夫をしていた少年の頃、アフリカで見たライオンです。

黄昏の砂浜でたわむれるライオン。

老人にとって「ライオンの夢」は、たびたび見る幸福な夢なのです。


「不運のどん底」を生きている老人。

しかし老人は幸福なのです。

それはあらゆる苦難の中で必死に闘い抜いた結果、勝ち取った幸福だといえるでしょう。

 

 

 

おわりに

 

人生には、何をしてもうまくいかない時がありますよね。

そんな厳しい現実を受け入れて、前を向こうとする人間、それが『老人と海』の主人公「サンチアゴ」です。


どんな苦難が襲ってきても、老人は決して負けず、力を振り絞って闘います。

その姿にとても胸を打たれます。


老人と海』の物語に興味を持ったあなた、ぜひ本を手に取ってみてください。

きっと元気が湧いてきますよ。

 

 

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