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【書評】大河小説のような感動を味わえる1冊―森鴎外『渋江抽斎』―

 

渋江抽斎』(森鴎外/著 中公文庫)のレビュー

 

 

渋江抽斎は、江戸時代後期の人で、漢方医儒学者として活躍した人だという。この人物の名が多少知られるようになったのは、本書と、本書を著した文豪・森鴎外の功績によるところが大きい。もし本書に触れていなかったら、渋江抽斎という人物が存在していたことさえ知らずに過ごしていただろう。


本書は、渋江抽斎についての史伝である。森鴎外の作品の中でも取り分けハードで、マニアック。何しろ、読みづらい。渋江抽斎の生涯、生活、趣味、業績などが語られるうちに、抽斎にゆかりのある周辺人物が列挙されるのだが、だれもかれもが知らない人物ばかり。専門の学者でなければ分からないような藩主、漢方医儒学者たちの勢ぞろいである。あまりの情報量の多さに、目が回りそうになる。しかし、鴎外の筆は生き生きとしており、文の端々から、渋江抽斎に対する敬愛や、知的探求の喜びが伝わってきた。読み進めていくうちに、そんな鴎外の心に感応したのか、登場人物たちの生きざまにどっぷり浸かり、夢中で読んだ。とにもかくにも読み切った。まるで大河小説を読み終えた時のような達成感と感動だった。


さて本書には、幕末から明治維新を経て、さらに明治から大正までの大きな時代の流れを背景に、渋江抽斎とその周辺人物たちの生涯が描かれている。前に述べた通り、幕末や明治維新というワードからすぐに連想されるような、誰もが知る歴史上の偉人たちはほとんど名前さえ出てこない。だからこそ、歴史に埋もれていた市井の人や、あるいは埋もれかけていた傑物を知る面白さがあり、そのような人々が時代の転変に振り回されながらも互いに助け合い、たくましく生活した様子が生き生きと描かれているところに読み応えがある。


鴎外はどのような思いで渋江抽斎を探索し、史伝を書いたのか? 

 

(前略)抽斎は医者であった。そして官吏であった。そして経書や諸子のような哲学方面の書をも読み、歴史をも読み、詩文集のような文芸方面の書をも読んだ。そのあとがすこぶるわたくしと相似ている。

渋江抽斎』(森鴎外/著 中公文庫)P21より引用

 

医者であり、陸軍の軍医総監であり、そして文学者である鴎外。渋江抽斎と鴎外とは、時代こそ違えど、同じ道を歩む者同士だったのである。その上、読書の趣味も運命的に一致していたという。もし2人が同時代を生きていたとしたら、きっと古書店の横道ですれ違っていただろう、ということまで鴎外は述べている。本書が鴎外の筆によって成立したことには、そのような由縁があったのである。


渋江抽斎を中心として、網の目に広がっていく人物相関図。先祖から子孫、交友関係まで、壮大な人物相関図が時代を越えて紡がれ、人物たちの何気ない日常的なエピソードも精彩に描かれている。小説に勝るとも劣らない読書体験を味わうことができる1冊だ。

 

 

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