人間の残酷さと愛情を描いた名作――森鴎外『山椒大夫』の魅力
こんにちは、『文人』です。
今回紹介するのは、森鴎外の短編小説『山椒大夫』です。
さまざまな受難に耐えながら人生を切り拓く主人公・厨子王の物語を通して、人間の残酷さと愛情を描いた名作です。
「森鴎外は知ってる。でも、むずかしそう」
「聞いたことはあるけれど、まだ読んだことがない」
という人のために、森鴎外『山椒大夫』の内容と魅力をわかりやすく紹介していきます。
『山椒大夫』とは?
あらすじ
岩代の信夫郡(福島県福島市の一部)で暮らしていた母親と2人の姉弟は、筑紫(福岡県北部・西部・南部)に左遷された父親に会うため、旅をしていました。ところが、越後(新潟県)で人買いにつかまり、母親は佐渡(佐渡島)、姉弟は丹後(京都府北部)の山椒大夫という金持ちのところに売られてしまいます。山椒大夫の召使になった姉・安寿と弟・厨子王は、労働を強いられ、不自由な生活に明け暮れます。翌年の春、安寿は弟を逃がし、入水自殺を遂げます。
山椒大夫のもとから逃れた厨子王は、関白・藤原師実に会い、身分を打ち明けます。筑紫に左遷された父・平正氏の罪が許されることとなりましたが、当人はすでに亡くなっていました。
成人した厨子王は正道と名乗り、国守となり丹後を治めました。正道は姉・安寿を弔い、佐渡へ売られていった母親と感動の再会を果たすのでした。
- 作者は森鴎外(1862~1922)。
夏目漱石と並ぶ、明治の文豪です。 - 「山椒大夫伝説」を題材とした小説です。
元の伝説では、姉・安寿姫は弟・厨子王を逃がしたことで山椒大夫から拷問を受け死亡。厨子王は逃れた後に復讐し、山椒大夫を討つ、という話になっています。 - 森鴎外の『山椒大夫』では、安寿姫の拷問死、厨子王の敵討ち、といった残虐な要素が省かれています。
これにより悲劇性と、母子・姉弟の切ない愛情が際立つ物語となっています。
『山椒大夫』の魅力
①父を尋ねる旅
○物語のはじまり
物語は、安寿・厨子王の姉弟と母親の一行が、越後(新潟県)の村にたどり着くところから始まります。
この親子は、筑紫(福岡県北部・西部・南部)に左遷された父親・ 平正氏 の行方を尋ねるため、はるばる岩代の信夫郡(福島県福島市の一部)から旅をしている途中です。
○家族の背景
この母と姉弟が探している父親とは、どんな人物なのでしょうか?
父親・平正氏 は陸奥(青森・岩手・宮城・福島・秋田の一部)を治める地方役人でした。
ところが、ある罪を負い、筑紫に左遷されてしまいました。
親子は平家の一族、つまり由緒ある貴族です。
しかし、父親が罪人として遠方に流されたことで、家は落ちぶれてしまいました。
このような事情から、母と姉弟は、別れた父親と再会することに望みをかけ、旅をしています。
○命がけの旅
故郷である岩代の信夫郡から出発し、父親の左遷先である筑紫へ向かう。
福島から福岡、つまり東北から九州までの長い旅です。
父親に会えるかどうかもわからず、道中、どんな危険があるかもわかりません。
姉・安寿は14歳、弟・厨子王は12歳。
貴族の親子が、女と子どもだけで、慣れない旅をしているのです。
とても心細い、命がけの旅であることが想像できますね。
②主人公・厨子王とその家族の受難
○人買いにつかまり、売られてしまう親子
越後(新潟県)の村に泊まった親子。
しかし、親子を家に泊めて親切にもてなしてくれた男は、人身売買をする人間でした。
親子はつかまってしまい、母は佐渡(佐渡島)へ、姉弟は丹後(京都府北部)の金持ち・山椒大夫のところへ、それぞれ売られてしまいます。
山椒大夫に買われ、奴婢となった安寿・厨子王の姉弟。
奴婢とは、わかりやすく言えば奴隷のようなものです。
姉弟は山椒大夫の所有物として、自由のない、強制労働の日々を送ることになります。
姉弟は慣れない労働に耐え、山椒大夫のもとから逃げ出すことを考えながら暮らしました。
翌年の春、安寿は弟の厨子王を逃がします。
筑紫に流された父と、佐渡へ売られた母を探すことを厨子王に託し、安寿は沼に身を投げ、入水自殺をするのです。
③人間の残酷さと愛情
○都に上った厨子王
山椒大夫のもとから無事に逃れ、都にたどり着いた厨子王。
清水寺に泊まった折、厨子王は、時の権力者である関白・藤原師実と出会います。
そして、自身の身分(筑紫に左遷された平正氏の子であること)を、師実の前で打ち明けます。
師実のはからいにより、父の罪が許されることになりました。
しかし、父・正氏はすでに筑紫で亡くなっていました。
○佐渡へ売られていった母親との再会
成人した厨子王は「正道」と名乗り、丹後を治める国守という役職に就きます。
その後、姉の死を弔い、母を尋ねて佐渡へ向かいます。
百姓の家の前を通りかかった時、ぼろの服を着た哀れな女を見かけます。
(中略)ふと見れば、大ぶ大きい百姓家がある。家の南側の疎な生垣の内が、土を敲き固めた広場になっていて、其上に一面に蓆が敷いてある。蓆には刈り取った粟の穂が干してある。その真ん中に、襤褸を着た女がすわって、手に長い竿を持って、雀の来て啄むのを逐っている。女は何やら歌のような調子でつぶやく。
正道はなぜか知らず、此女に心が牽かれて、立ち止まって覗いた。女の乱れた髪は塵に塗れている。顔を見れば盲である。正道はひどく哀れに思った。そのうち女のつぶやいている詞が、次第に耳に慣れて聞き分けられて来た。それと同時に正道は瘧病のように身内が震って、目には涙が湧いて来た。女はこう云う詞を繰り返してつぶやいていたのである。
安寿恋しや、ほうやれほ。
厨子王恋しや、ほうやれほ。
鳥も生あるものなれば、
疾う疾う逃げよ、逐わずとも。
『山椒大夫・高瀬舟・阿部一族』(森鴎外/著 角川文庫)収録「山椒大夫」より引用
その女は、百姓の家の庭で雀を追い払っている召使でした。
ひどく落ちぶれた姿をしていて、盲目になっています。
その女が、安寿や厨子王の名前を繰り返し呼んでいるのです。
正道は、その女こそ、幼い頃に生き別れになった母親だと確信するのでした。
こうして母子は再会することができました。
○社会の裏側で起こった悲劇
『山椒大夫』の世界は残酷です。
「山椒大夫」のような利己的な支配者が、弱い者を労働力として酷使し、利益を生むことで、世の中の経済をまわしています。
その下に、労働力である奴婢たちを管理する人間、旅人をつかまえて奴婢として売ることで生活を立てる人間、そのような人身売買を黙認する人間がいます。
主人公・厨子王とその家族をめぐる悲劇は、このような社会の裏側の見えないところで起きています。
そのため厨子王は、人知れず涙を流し、怒りに耐えなければならないのです。
『山椒大夫』では、ふつうの人間の残酷な一面が鋭く描かれています。その中で、母子・姉弟の深い愛情がとてもドラマチックで、印象的です。
まとめ
森鴎外の短編『山椒大夫』は、ふつうの人間の残酷な一面や、家族の深い愛情が生き生きと感じられる物語です。
短い小説でありながら、奥行きのある世界観、ドラマチックな展開などが魅力的で、長編小説をぎゅっと圧縮したような読み応えがあります。
「文豪の名作を読んでみたい」
という人には打ってつけの作品なので、まだ読んだことのない人はぜひ本を手に取ってみてください。
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